遭難−基礎知識
自分だけは事故や遭難とは、無縁だ。そう考える、考えたい人が多く
クライミング行為・活動が本来は危険を秘めている事実を無視したがる
傾向を、現実の問題として認めない。
そういった意識を、まずは変える必要があり、基本的なセルフレスキュ−
に、関する最低限の知識と技術は学ぶ事を強く、薦めたい。
『山での不測・突然の事故や怪我・病気』
天候の激変や、自然災害も含めて危険は何時も
自身に襲い掛かる恐れは、誰にでも在り得る。

『登山行為・クライミング』と遭難は、悲しいが
目を背け、考えずに活動する事の出来ない問題。
集団・グル−プでの登山活動やクライミングでの
『危険認識度』の希釈・効果は論じられる事は少ないが注目すべき、人の心理面での危険要因だ。

『組織・集団登山・信奉者』『組織活動・礼讃者』の実践者の多くは、自分達の活動を最も安全だと、信じたく
一般的にソロ・単独での登山・クライミングを最も危険で無謀な行為と論じたり、行為自体を禁じる発言が多いが実際のクライミング現場では、初心者の無知・無謀な個人活動や、明らかに無茶なソロクライミングを行なう人を例外として、ソロ(一人)での登山やクライミングが統計学的・関知や実例判断から、最も危険だとは言えない。

『登山活動を組織的・集団的に行う』山岳会やグル−プ
が過去から現在まで、登山・クライミング行為での事故
や遭難を制止・減少させたという実例は存在しない。
より活動的で行動範囲が広がり、組織としての活動が
活発になるに比例して、当然ながら山での危険は増大
するのが当たり前で、机上登山を旨とする架空・行動が伴なわない組織は『登山・クライミング』の名称は基本的に必要とはしない。

より高く、より困難を目的に構成メンバ−が活発に行動
すれば、組織の中での危険性は高まるのが常識的な
判断だが、既存の組織で明確に危険比率や現実を直視して、発言する者は非常に少ない。
『人は間違いを侵す生物である』完全無欠・失敗を起こさない人間と言うものは、在り得ない。
人は加齢・疾患により体力も精神的な力も低下することが避けられず、精神的な要因で持てる力が発揮出来ない不条理な現実を避けて、生きれない。
クライマ−は技術の向上と共に、登れる困難度の限界を押し上げ
可能性の領域を高める事に、最大の関心と共に努力を厭わない。
それが理想であり一種の憧れ、目標ともなっているが、誰でもが最大限
の努力と成果に比例する、頑張りと節制・努力が行なえるかと言うと必ず
しも、そうだとばかりは言えない。
怠惰・怠慢、飽き、諦め、挫折し悩むのが人としての現実。
しかし、『山は、人の能力や経験』に見合って併合する環境ではなく
突然の天候変化・落石・雪崩・雷雨や地震まで人の英知や勇気でさえ
あがらえない現実を突然に突きつける。

『夢や目標』は文字・言葉にすればロマンチックであって、受け入れ易く
山やクライミングの活動、行為での錦の御旗としても便利だが、勝てば
官軍・負ければ賊軍・敗者は悲惨。山での敗者は遭難死と誰も言わない
使者に鞭打ち・山での『死』は特別視されて、非難は敬意に変えられる。
『失敗』は恥じであり、文化的な背景も含めて、山での失敗・遭難・事故
を多くの当事者は、詳細に語る事は少なく、防止策としての『情報公開』
体系的・統計的な論評には、死者・遺族への感情も含めて厳密さや正確
さ、よりも感情的な哀れみや、哀悼の気持ちを表現しなければ許さない
風潮は消え去らない。

それが悪い事ではないので、山の世界では『遭難防止策』や対応に関し
て、厳密・厳格な『事例・情報』や『ならば、どうする』論理が進まない現状
が、あるように思える。
登山やクライミング・他のアウトドア関係の『遊び=クライミングも含めて』
これらの野外での、遊びは人が生活を豊かにする為に有益な『文化』と
主張して、組織登山を普及させる目的で活動している団体・組織が存在
している『現代の労働者・労働の中での余暇』が、メイン課題として思潮に
明確な論理性と目標を持っていたが、フリ−クライミングの発展と中高年
世代の無所属・個人単位から気の合う少人数での、山歩き『登山』や
ツア−企画や営利業務での『登山』の普及と利用者の急激な増加と言う
現実に、過去の組織論は対応出来ていない。

俗に『山岳会・離れ』未組織・登山者の問題は人の自由の問題。
室内営業壁とスク−ル利用者の増加。組織は組織としての価値や意味を
再生できていないように思われる。
『バスハイク』『海外トレッキング・ガイド・ツア−』は商売として充分な利益
を上げて、広く利用者に認知され必要性が増大している。