1987年『完登』

【大普賢岳・ディ−プ・ブル−氷柱・試登。1986年】
稜線まで、抜けなければ私には意味を成さない。

2006年、今期も狙っている。年末からの異常な『寒気・南下』は1月17日、以降からの例年通りの暖気や春の様な降雨で期待感も『氷』も、縮小してしまったが個人的にはチャンスは、巡って来ると考えている。
そして、次の機会を掴むのには『ドライ・ミックスド系』の技術と経験の積み重ねとトレ−ニングの先に・・・・
秘密は出さない。
2007年のシ−ズンは、1992年よりも悪かったが標高を上げた、定番ル−トのみは少しは遊べた。

2008年、年明け早々の状態は安定せず、気温の上昇に伴ない上部壁の氷瀑が崩落。
それでも、シ−ズン期間の中頃に再度、状態は回復して立春寒波がベスト・コンディション。
暖冬予報など、最初から信用していず今期の『大普賢岳エリア』での、コンディションは必ず、良いチャンス
だとは確信していたので、2月の連休を利用しようと計画していたが、それは適わず惜しいと思っていた・・・
遅すぎたとは、個人的に思うが『残していた課題』は、解決されたと聞き及んでいるが、常識的な感覚や、これまでの経験から推察して、20年間に誰も、ここを狙っていなかったと言うのには無理がある。実際、私が知っているだけで数人のクライマ−は、このラインの価値を体験から知っているし、毎冬、ここに通って来ている方達も知っている。記録も、私も同じだが、専門雑誌に投稿し、記録を公表しない人達も存在している。そういった感覚から判断して、今まで未登だったかどうかは・・・・?。その辺りの疑問は残っているだろうが、公表記録というのは、最近では出した者・勝ちの雰囲気が強い。カサギや八ケ岳・ナカマタでも私は、そういった嫌な経験を持っているし、そういった環境から、抜け出してもいる。

それでも、私にとっては想い入れも強く、楽しい記憶も多い、未完成ラインが完成したことは、正直うれしい。
それでも、まだ幾つもの『夢』の、可能性を秘め、残している希望の多い、この周辺は他のエリア・山域・ジャンルと同じく、次ぎの夢の舞台でもある。他人の行動は評価するし、記録も賞賛する、しかし、私には、まだ
『自分にとっての、次ぎの夢』が、少々?あるので、良い刺激とはなった。



写真を少し、入れ替えたりサイズ変更してた日に、偶然だが『大阪凍稜会メンバ−』による、実に20年を越した時間後に『エンジェル・ウィングの右翼/ライト・ライン』の、完登の情報を、本人からの携帯メ−ルで、知った。コングラッチュレ−ション、他人事ながら、稜線に上がり詰めた時の感慨を想い出せた。

夏期間の『キャニオニング・スク−ル』ベ−ス以外では、それほど頻繁に使用しない携帯へのメ−ル連絡
だったので、内容は完全に理解していない。情報の提供を求められたので、少しばかり以前に書いた項目に
追加・情報を書き込んでおいた。役立てば、幸い

                       Wednesday, February 13, 2008
1982年〜88年・冬季シ−ズンの大普賢岳・周辺エリアの結氷・氷瀑、状態は、比較的・良好でした。
90年代、以降からは下部アプロ−チを含めてエリア全体としてのアイスクライミング・環境は80年代とは違います。反面・前傾壁の取り付き部に氷瀑が形成されないので、ドライ・ツ−リングが可能となった壁が露出していたり、新たな視線で見ると大きな、課題を発見できる『場』も表れています
3ビバ−クを想定した装備類は徹底的に軽量化した。二人とも、八ケ岳の寒さで鍛えて来たし池田君は数年来、生活ベ−スが、八ケ岳『赤岳鉱泉・小屋』なので寒気にも強い。私も大峰の寒気程度ならば、何も不安は無かったのでビバ−ク装備を軽くして、ギア類を充実させた。

ストレ−ト・シャフトにセミチュ−ブ・ピック、もう1本はミゾ−・オリジナル。アイゼンはライト・フットファング、今から見れば過去の装備だが当時は最先端のアイス・ギア類だトップは空身。ザックは核心部のみ、荷揚して効率化を図った。稜線に抜け出るまでは、降りて来る、つもりは無かったので集中力も持続した。ビバ−ク環境は比較的、快適な部類に入る。結局、2回のビバ−クで稜線を踏んで、3日目の明るい時間帯に車に戻れた。


詳細な記録やル−ト図は、他情報の多くと同じく震災後に全て失ってしまった。
新聞情報や他・提供した、記録資料も同じく私と相棒の手元に、全て戻って来ていない。
『天使の翼』左・方翼に入り込む。
念願だった最上部の氷柱へは不安定で下層に氷が存在する、雪崩の危険性が高い急雪壁を2P。

この雪壁を突破する間はコ−ルも控えるほど、緊張する静かでデリケ−トなクライミング。氷柱・下に付くと落ち着く。この氷柱・裏に回りこんで安定した確保。このピッチも私が担当させてもらう


最初の空撮には同乗していたので、全体範囲でラインの想定は可能だった。この2度目のチャレンジ時には、担当記者との約束が、2日目の午前と午後の2回で、私達の登攀を、肉眼で確認後に可能な限り、接近して空中からの撮影を予定していたが、強風や吹き上げる雪風でホバリング不可能、そして連絡手段を持たなかったが故に、思うような写真撮影は適わなかった。それでも、私達の痕跡は下部の雪面から、ラッセル痕として視認されて、氷柱裏からの私のクライミングは発見された。
大峰でのアイスクライミングでは、湿雪対策は重要で、氷瀑にたどり着くまでのラッセルと実際にアイスクライミングの現場で遭遇する「環境」共に濡れに対する装備の対策は大切。

薄い氷面下の岩場に対応する為にもクランポウのスパイクは鋭く研いでおいた方が良い。
『ネクスト・ドリ−ム 残された課題』 エンジェル・ウィング・ライト
『大峰・大普賢岳エンジェル・ウィング・レフト』
『朝日新聞社・記者同行、取材と空撮撮影、他・メディアへ情報の提供
現在の『シェ−クスピア氷柱群』と、呼ばれているエリアまでのアプロ−チ途中の、二つの小氷瀑を含めて稜線直下の、最終・氷瀑帯を継続突破しての『1本のライン』として、ル−トの完成とした。
最上部の氷瀑帯は雪崩の危険性が高く、数箇所のブランクセクションが核心部
私達は『ボルト』を、覚悟を決めて最初から持参していなかったので、氷の途切れた
『ブランク・セクション』の、突破が最大の核心部となった。結果的に『ボルト』を使用せずにル−トを、完登できたのは、私達のスタイル面での僅かな誇り。
最も興味を引き付けられる、岩壁帯に懸かる氷柱の位置する標高は、ほぼ同一高度に点在している。80年代に形成されていたが90年代・後半時期から、顕著な氷柱状態としてクライミング対象として、見られなくなった課題が二つ。
条件により、シ−ズン中に完全形成されない課題も一つ。

しかし、全ては条件次第なので80年代の状態を実際に目に、していない人達にもチャンスは公平に訪れるだろう。
『エンジェル・ウィング』と呼んでいる、最上部・岩壁帯・左右に大きく発達する氷のラインへのアプロ−チとして唯一の登路として、攀じるしか方法が無かった中段と、その下の氷柱は現在の発達・進歩したアイスクライマ−の意識と技術・そして装備で純粋な難易度は、かってより低下したと思うが不安定で、頭上からの水滴の落下や、その時々の自然条件で決して、容易な『課題』だとも思えない。そして、上部の一部、非常に急傾斜の雪壁・雪斜面の突破で、厄介な段差と下層の氷面と完全・密着していない条件時のトラバ−スは、危険性を秘めている。
『エンジェル・ウィング・レフト/天使の翼』翼には両翼が必要なので、本当の意味での完全・完登を狙って、上部氷瀑帯へは80年代から92年、頃まで何度も挑戦した。特に右翼を最下部・アプロ−チ滝から継続しての、試みは最強パ−トナ−と3回、試みたが肝心の中間・氷柱の寸断箇所を当時は突破する技術や用具も無くて、一部のブランク・セクションの課題を解決できなかった。『右翼』には2度、触っているが、自分達の価値基準で記録的な価値も感じなかった。完登者の出現は喜ばしい。
『記録的な価値観』と言う、表現は個人的に嫌いなので、『価値』という部分には最初の『完登』から
次ぎの『夢』への継続と考えていた。継承系の遊びの世界と理解する人が、続くのは、喜べる。
最初の挑戦時には、課題に取り組むのに精一杯で、いつもの様に大量には写真を写せなかったが、幾つかの貴重な状況確認や新しい『課題』を、予感させる、発見に繋がった情報は入手していた。次ぎのガイド同行で『朝日新聞社』記者と八尾からスタ−トして、大峰・大普賢・範囲を広域に空中から写せた写真で、ほぼ全容を掴んでいた。こういった機会が4度あり、奈良県と三重県で私が必要としていた情報に関しては90年までに、ほぼ収集・保管していたが、震災後に他の多くのスライド・ネガ・アルバムと共に、その殆ど全てを失ってしまった。現在、2006年から作成し出した、このサイトの写真は数少ない利用可能な情報類と言える。神戸の難波君や関東の小川君や中山君との、記録は完全に失っているようだ。難波君との最初の頃の写真は、意外な場所から発見できた。
前年の1986年に同じく『朝日新聞社・紙面』に情報を提供して、多分?初めて大峰でのアイスクライミングの可能性を目にしたクライマ−は多いと思う。
詳細な情報が公開・公表されたら、追加予定。2008年・今冬に残されていた課題『右翼』が、完登されたとの情報を知った。取り付き点が、約50m〜70mほどの落差があり、氷瀑帯の終了点からの稜線までの、位置関係にも少し違いがあるが、ほぼ同じ一つの岩壁帯に連続・連瀑帯として形成される。取り付き点への困難度には、幾分の差異あり。

互いの氷柱・氷瀑帯は、通常は密着せず中間部の岩壁により、遮断されている。
数度の『空撮・同行時』の、確認では最上部の雪面からの、大規模な『雪崩』や、各氷柱の崩落・落下の可能性は冬季シ−ズン期間、いつでも起こり得る。
氷柱が完全に連結する期間は、非常に短く氷柱自体が、全く形成されない冬もある。条件を掴むのが困難で80年代から、徐々に氷柱と全体の氷瀑帯の規模は、縮小傾向にある。
一部、巻くことが困難な露出した岩と雪崩後の硬雪斜面の上に、大峰特有の湿雪が乗った不安定な雪斜面は『雪壁』と呼べるほどの、困難性を秘めている場合がある。確実な確保・支点を取るのが困難で、左右に逃げるのも危険という箇所では、細心の注意が必要。
『稜線直下』の雪斜面は比較的、安全領域だが
氷瀑帯を突破してからの、ルンゼ状斜面は雪崩の危険性は高い。氷部は途絶えるのだが、雪下に氷結しているのか、本来・氷斜面なのか隠れた危険が残っている中途半端な、積雪時が最も危ないと感じた。『ライト・ライン』は幾分かは中心線から外れているのと、上部・出口が潅木帯に近いので危険性は『レフト・ライン』よりは
ましかも知れない。
攀ってみないと本当の事は判らないが、これまで大規模な崩落・落氷の痕跡を雪斜面上に見ていないのは『右』だ。

これまで20年以上の、観察で氷の形成状態が比較して良かったのも『右』だが、最初の氷柱部分の状態は、『左右』共に、似たような状態が多いのかもしれない。ただし、全体傾斜と岩場の段差の条件で『氷部』が、途切れてしまうブランク・セクションの現れる条件は『左』が多い。
核心の最初となるスタ−トからの氷瀑は容易。
氷柱の裏・左側の岩で万全の確保体制が取れる2P目となる完全な『スタンディング・ピラ−/氷柱』は直上後に左に出て、被った部分の切れ目と弱点から突破。86年に出口・手前に試登時の敗退用と考えられる2本の、残置アイス・ピトンを目前に発見して、驚かされた。
次ぎの『氷柱』が、全体を通しての最大の核心
重要ポィント。崩壊する危険性が毎回、高い。
連瀑帯が形成された状態を見ることは少なく
チャンスは約2週間ほどの期間。全く2段に氷柱が連結しない年が、増え出している。
88年〜95年頃に再登されたという情報を何度か聞いたが、正確な情報を私は知らない。可能性は個人的に高いと、当時は考えていた

私達と同じ様に、記録を公表せずに『次ぎの夢』を密かに計画し機会
を、毎冬・狙っているクライマ−が
いるほうが、当然だと感じる。
実際に、そういったクライマ−の存在を、最近ではメ−ル関係で知る
事も、多くなり出した。
1986年の『朝日新聞』に、私が情報を提供した記録が、最初の大峰
山系での、本格的なアイス・クライミングの記録だと思われる。
稜線からの下降途中に森林帯の急な
斜面で相棒が、アイゼンを引っ掛けて滑落。
斜面で止まらず、岩場の段差墜落したが幸運な事に、雪の吹き溜まったバンドで停止して、命拾い。
もう一つの『大峰のアイスクライミング・ル−ト』
『レフト・ライン』
『ライト・ライン』
長い空白期間を経て『2008年』に『右翼』も、完登された。
『氷柱』の崩落・崩壊の現場を当日に下部・氷柱エリアで体験している。
実際の落下風景は位置的に目撃できなかったが爆音と形容できる凄まじい、音響と爆風雪の飛散は
恐怖感を抱くのに充分。
この『ル−ト』では、途中の氷柱裏
でのビバ−ク等、絶対にお断り。
気象条件は数時間で、激変し気温の上昇は、降雪・吹雪よりも危険な環境。垂直の氷柱・上は傘状に被さる場合が多いので、溶け出したツララからの水滴は、豪雨波の条件で突破するのは困難。
あっという間に、全身が濡れる・・
そして、落氷の危険が増大する。
開拓後『6登』まで、私が続けて攀じているので一般的に言われる『記録的・価値』は、殆ど無い。
年々、スタ−ト箇所からの氷結・状態は悪くなり全く、連続して『氷部』が登れなかった年もあった。
中間部・上まで『雪崩』の、危険性は殆ど無いが中間部・右側からのルンゼからの危険性は存在している
ので、注意が必要。上部・下段からの落氷がルンゼ上を滑り落ちて来た『痕跡』を、数度・確認している。