聾唖者には、本格的な『登山・クライミング』は、向いた遊びではないと、仲間内でもある他の、登山者が思っている事は、とても残念な事だった。

仕事、業務と割り切っての。活動・参加ではなかった
彼らの、渡欧・ヨ−ロッパ・アルプスでの、成功を望んでもいたし。期待しても、いた。
それは、彼らの『計画』を、本人達から聞き及んでいたからで。応援者としての立場
から、出た『ガイド』としての、立場では無かった。
当時、阪急「六甲・駅」近くの、少しばかり広くなったアパ−トに移り住んで、間もなか
った頃。彼らのグル−プの女性メンバ−達も誘って、ささやか・ながらの私からの気持ち。壮行会みたいな感覚での『焼肉パ−テイ−』を行った。
『頑張って、来いよ』こんな、感じ・だった。

『堡塁岩』に、近いと言う理由で阪急「六甲駅」の周囲
で、4度も引っ越していた。
3度目に、移り住んだのが中々に、造りが面白い部屋
で、当時としても残っている戸数が少なくなっていた
戦後の、神戸に進駐していた「米軍・将校」専用の宿舎
を後にアパ−トに改装した建物。
2階に、上がると板の間(今風ならフロ−リング)が、二部屋。キッチンは人一人が、入るのが・やっとの狭さでトイレも似たようなものだったが、窓だけは気に入っていた。数もだが、洋館タイプで広くて明るく。
天井も高くて、それまでに住んでいた日本タイプの文化アパ−トとは雲泥の差だった。

時代に、先駆けた。少し、早過ぎた感覚を持った
海外での登山とクライミングの計画だ。
当時は、彼らの期待・希望している「内容」が、彼らの力量や能力に照らして、どの程度の余裕があるのか、どの程度の危険率なのかを測る、情報を私は持っていなかった。
価値のある行為だと、信じたので参加した。一夏の時間は渡欧で過ぎる、当時としてはガイド業務の最も、集中する大切な短い期間なので、秋以降の生活を考えれば苦しい選択だった。

残雪期の『穂高岳』岳沢に一人、登って行き。
コブ尾根のル−トの、どこかから還って来なかった
還れなかった。後輩の事を、彼らとの話し合いの中でいつもも、絶えず考えていた。彼も聾唖者・聴覚障害者だったから。

当時。同じ仲間に二人の聴覚障害の青年がいた。堡塁岩で知り合ってから、私が彼らを連れて六甲山系の他の岩場や、藤内壁や小豆島の岩場・等にも一緒にクライミングを楽しみに出向くと。手話は、他のクライマ-には珍しいらしく、コ−ル声やホイッスルが意味を成さない私達は、私が考えた一般の登山者やクライマ-とは、かなり異なる方法でお互いのコ−ルを岩場の上と下で、静かに行っていた。その方法も特殊なので、岩場では目立つ。


聴覚障害者は「耳」に、障害があるのでクライミングの様な、バランス感覚が重要な「スポ−ツ」は向かないよ。そんな風に岩場の取り付きや、終了点で私に、さも知ったかぶり。親切めかして話しかけて来るクライマ-が、どこにでもいた。

『だから、何だ』そう、反論でもすれば良かったのかも知れない。
生意気を絵に描いた様な私は、たいていは無視していた。それが、年上のクライマ−達には気に食わないのだろう。学生時代から、長く関西範囲では規模の最も、大きかった大阪「梅田」の登山専門店で、アルバイトとして店で働いていたので、『顔』は多くのクライマ-や登山者に知られていた。生意気さ、それに輪を、かける様な態度で更に大人達・??先輩達から反感を買う。

信念に近い、心は持っていた。
山の世界では、年数やキャリアを示す年齢が
価値儀準の中で、大きな地位を占めていたが
厳しい、雪山とクライミングの世界では、そんな
意味の無い、基準は通じない。

『山の世界』に、理想を抱き過ぎていた期間が
長かった。
その、夢や理想を一時期は諦めかけたが、震災
体験後に、再び以前よりも強く信じられる機会に
恵まれ出した。
障害を持っていると言う事と、障害による可能性の減少という問題は違う。不足する能力を補う能力を開花させる人達もいれば、人格的に素晴らしいものを持った人達も多い。ある者が、無い者を制限する。可能性を否定する事は、許される事ではない。
ある時に、懇意にしているシヨップの店長から
(某・テレビ局)制作者から、担当するガイドを探し
ていると打診があった。その企画の内容は話しを
してくれた店長と共に私も、少し興味を惹かれたが
詳しい『企画・内容』を知って、私達は興味を失った。

内容は視覚障害者の登山者を日・韓で集めて
ヒマラヤの、比較的・容易な山を登頂さす。
そういった内容の話だった。
トレ−ニング期間は、殆ど無く。
『趣旨・趣向』は不明。これでガイドは担当できない。
震災以降の、この10年間ほどの期間に私への
メディア関係からの、問合わせ・ガイド業務の打診
で6件の不愉快な連絡が合った。

ある程度の『創作・ヤラセ的な製作』はテレビと言う
世界では、当たり前の事なのかも知れないが・・・
あまりにも・ひどい・無神経な『障害者・ネタ』での
挑戦・話しや。無理難題の依頼は論外。

失敗は『ワンコの救出』翌年の再現映像に加わった
事。その撮影現場で、はっきりと担当者から『ヤラセ』
の映像・作成を聞いた。聞かれても・決して認めないと
話しも、聞いた。

2006/04/07 (金) 7:20:29

MCS国際・山岳プロガイド 舟橋 健