この『渓』も、他の六甲山・範囲の『沢・谷』の渓流と同じく
『最適・環境の利用時期』が、存在しますが、利用期間は格段に長くて、水質の良さや取り巻く『自然環境』は、芦屋川や仁川渓谷と、比べれば格段に良くて、閉鎖的な環境で環境を保全・保護かする事が、現実的には難しい『他の環境』と、違って、この「渓流」では、まだ努力して改善できる余地・可能性が高いので、登山者・側からの努力が必要でしょう。

そういった、意味では「情報」を
公開・公表するのは明らかに、躊躇われる「場所」です。

年間で、最も水質が良くて、水量も遊ぶのに適した時期を、選んで『親子で楽しむ渓流プラン』を実施しています。

     『サンケイ新聞社・写真部・記者(大西氏)提供』
         バリアフリ−・プログラム取材時
視覚障害者メンバ−には、この水圧・抵抗や激流での『音』を含めた環境の全てが、新鮮で楽しめるという人が多い。
長い時間を必要としたが信頼性の高い地名が判明した。
沢での難易度(グレ−ド)判断やコ−ス内容の説明には、現場でのセンスや
利用する環境での行動が大きく影響します。易しい部分を選ぶか、困難な部分
を選ぶかは、個人の自由です。滝を巻いて、逃げて「あそこは易しい」表現は
問題。
プログラム実施『期間』には、六甲山とは思われない良い環境下での『渓』遊びが楽しめます。放置・自転車や大型ゴミを川底から回収して整備しました。
『沢登・初体験』そういった初心者にも楽しめる『渓』です
時期や期間は、担当ガイドに御相談ください。親子向きの企画・実施にも最適な環境です。

2006/04/04 (火) 23:59:35

『六甲山』の小渓流(沢)の中でも、この場所は今では本当に残り少なくなった、良い自然環境を残し少なくなった渓流の最上流部が、これ以上・汚濁した土砂を貯めなければ、時間的には少しの期間は、水質の悪化は心配ないかも知れません。
個人的には、入渓アプロ−チの林道・入口にゲ−トが設けられて一定の制限が期待出来て、渓流内の汚れが僅かだが、減少しそうで歓迎している。車で沢の上まで、楽に接近できなくなったとか、面倒だと言う意見も個人プログ等で、多々・目にしているが環境の保全と言う意識で見て貰えれば、僅かな距離ながら車利用者の接近を防げるのは効果的だと考えている。
Tuesday, 08 July, 2008
1980年代に、全国的に見ても山岳プロガイドが国内で初めて、地域の自然保護・団体からの要請に応えて、親子参加を基本とした『沢登りプログラム』を、実施した同じ【六甲山系の仁川渓谷】での、実施企画と、ほぼ同時期に、この裏・六甲の【逢山峡】でも、小学校の低学年から参加を受け入れた【沢登り講習】を行った、記念的な沢コ−ス。初期に、私が企画を実施していた頃には登山者からの理解は薄く、基本的に情報はクチコミのみで、雑誌などにも記録や企画の報告は控えていた。
最近、少しばかり入渓者が増加した。
70年代に、水質の悪化が目立っていたが徐々に改善された経緯を詳しく、知る者も少なくなったが、この環境は六甲山に残る、貴重な自然だという認識を多くの人達に理解して欲しい。
登山雑誌などには、私の初登時の記録などは一切、公表しなかった。地域のメディア・新聞やテレビでのガイド業務で利用する場合には、極力これまでは地名や場所を映像から判断されないように注意し、可能な限り情報を発信しなかったが、個別に問合わせ、質問を受けた場合には詳しく、紹介・アドバイスは行っていた。
六甲山 逢山峡
『裏六甲山 講習適地の逢山峡の開拓・整備』『未踏・未登の滝ル−トの開拓・初登』
80年代から、私が講習用コ−スとして整備、各滝に登攀ル−トを開拓。『浦島淵』のみ、先行者・初期の開拓者の痕跡、残置ピトンを確認。詳細な記録や情報は2001年・発刊の『山と渓谷・別冊のヤマケイ関西・六甲山』に私が編集部より依頼を受けて、担当執筆した『六甲山の沢』以外には、紹介していなかった。2003年以降から、私からの公開情報を読んでの、来訪、入渓者が急激に増加中。
80年代に、この渓流で私以外の『沢目的での入渓者』を、一度も見た記憶が無い。97年からは、地域の『広報誌』や、教育関係者からの個別・依頼で、私が担当している『親子で楽しむ・渓流プログラム』が、機関紙や地域情報誌の中で、紹介されて同じく、ガイド依頼業務でのメディア関係での、映像でも、この『逢山峡』を頻繁に使用した。『沢での企画』は、新聞紙面でも紹介され、生地で場所を特定できる地元の愛好家からの要望にも、お応えしている。2002年〜以降からは、TV番組や、私の執筆した情報を見て、様々なグル−プが、私の講習プログラムを真似て、同じ様に、この沢での企画を行いだした。そういった講習?企画の実施者に幾つか問題を感じていて、一例ながら直接、現場で私が目撃し直接・注意した某・ガイドの起こした事例は、非常に非常識かつ、ガイド基準の安全を基本から、無視していて『悪質』詳細は、公表するつもりです。

『六甲山 逢山峡』
最も、初期の探査・初入渓者は1960年代から、70年代の後半、私が初めて入渓した頃より、数年前には本格的に核心『滝・岩場』に挑戦していた事が、痕跡で確認できます。