鈴鹿・御在所岳『藤内壁・周辺』での、アイス・クライミングは、関西範囲からのアイス・クライミング体験の場として、広く知られたエリアの筆頭でしょう。

80年代、後半頃から「情報」が、知られ出した関西・範囲の新しい『氷のエリア』が、注目を集めても、やはり「藤内壁」の魅力は、失われる事は無く。アプロ−チや環境・山小屋やロ−プウェイ−等の、施設面での恩恵・等を含めて、「アイス・クライミング・エリア」としての価値は、失われてはいない。

『藤内壁』から私達のアイス・クライミング』その、世界は広がった。

『国際山岳プロガイド 舟橋 健 記』

鈴鹿・御在所岳『藤内壁』周辺のアイス・クライミングは、関西からの氷の実体験を手軽に行える「場」として、古くから良く、知られたエリアです。私達・神戸のクライマ−には、以前はイメ−ジ的に「ゲレンデ利用の場」通うのには、少し遠方で、長野県に出るか?中央アルプスに出るか?の、選択肢の予備的な山域・クライミング内容だと思う人達が、多い様でベ−スとなる「藤内小屋」で、大阪・以西の登山者やクライマ−が常連派として・顔を見せる事は少なかった。私は当然、一時期は平日でも、許可を得ていたので自分で自由に「鍵を開けて」小屋への、出入りが気楽に行えていたので勿論「藤内小屋の常連・派」ですが、昔の「赤岳・鉱泉小屋」と、同じく・関西勢・関西弁が聞こえない「山小屋」と言うのは、やはり少し寂しかった。最近は、再び『アイス・クライミング』に興味を持つ、クライマ−も増えて来たようで、この5年〜6年・アプロ−チの裏道は別にして。山頂付近や温泉では「関西クライマ−」とは出会う機会は、多くなって来た。

81年・頃のある冬の1シ−ズン中は。『藤内小屋』で過ごす。ガイド生活を送っていた。藤内小屋を起点に、街の自宅に戻らずに南アルプスと八ケ岳・方面に友人達の車に乗り継いで移動。そして「藤内壁」に、帰るような生活だった。

80年代の前半には、ガイド講習の合間に交互に入山・補給物資の手助けも行ってくれた後輩達と、毎回2人で中又や奥又・周辺を登りに行った。当時は最近とは、冬季の気象条件・積雪量の内容が、かなり違っていて。

一晩の降雪で「藤内小屋」が、半分ほども雪に埋もれる「そんな」信じられない様な、降雪・積雪も実際に体験している。多分、その頃なのではないか、御在所・山頂からのスキ−滑降で、藤内沢のテスト岩・下、辺りまで滑り降りて来るコ−スが数本・話題に上がっていたのは。藤内小屋のオヤジさん・佐々木さん、からも・そんな滑降・経験を70年代、辺りに楽しんだと聞いていた。小屋から「一ノ壁」に、向って、終日ラッセルして、私と仲間の二人で・壁まで到達・出来ずに「敗退」。
『藤内・滝』が、完全に積雪で埋まってしまい「滝上」を深雪のラッセルで、通過したなど。最近(1990年代・以降)の自然しか知らない、クライマ−からは想像も出来ない「自然環境」だろう

70年代から「藤内壁」をフィ−ルドに利用して『アイス・クライミング』の体験を積み上げられたのは、私にとっては幸運だった。その後に「南アルプス」や「八ケ岳」が、最も頻繁に・そして長時間・仕事として。そして自分のトレ−ニング環境と、なる前に『藤内壁と大山』を、知りえて。実際に通いこむ為の絶好のベ−スと、なる場に出会えた事も幸運な事だった。

当時は、濡らした手袋の予備・一つ。ガソリン・コンロの僅かな燃料や持ち込める食料の購入資金も、次ぎの山に向う為に必要な資金だったから。暗く、寒い・夜を過ごす為の「環境」が、ほんの少しの岩屋根でも、炊き木を集められても、それは私には良い「環境」だったから。

全地球的な「温暖化」傾向が続く・現在では
60年代から80年代・前半期と、同じ様な氷瀑・形成
は期待出来ないのが、とても残念だ。

昨今の『藤内壁・エリア』での、実際のアイス・クライミング
の現状は、20年前と比較すると格段に状態は、悪化して
いる。『藤内小屋』からの、アプロ−チの距離と時間が最も
近かった、冬季にもキャンプ適地として使われている『兎の耳』
から、簡単に入れた・俗に「ワイワイ沢」と、地元・中京地区
のクライマ−から呼ばれていた「「小沢」上部に発達した氷も、
近年では、そのゲレンデ的な意味も失いかけている。

「テスト岩」と呼ばれる・練習ボルダ−先の、藤内沢・最初の「滝」や、奥又の氷瀑に無理なく、継続する為に重要な位置にあった「マイナスの滝」等の、氷結・状態も年々・縮小傾向。以前には全ての氷を利用して、幾つかの氷瀑・氷滝を続けて登れた「ライン」も、余程コンディションが良いシ−ズンの完全・結氷、時に入山しなければ、経験する事は難しい。ただ、そういった『温暖化・傾向の暖冬』の・時期にも自然の気まぐれ・意外な状態を楽しめる場合も、体験出来るのは面白い。氷瀑・状態には氷の厚みが発達しなくても、違うスタイルやクライミング・テクニックを使用して、これまでならば『課題』として、見なかった・見ようと・しなかった「場」を発見・利用できる。
要は、それぞれの「クライマ−」の情熱と技量に、アイス・クライミングに対する姿勢・視線から生まれる「新しい選択」それには、努力と意識改革も必要だ。『藤内壁のアイス・クライミング』を、自然・環境の変化で、価値が失われたと断言するのは、少しばかり早計・まだ『夢の続きは、数多く』=『残っている』そういった、例は、別項で少しばかりヒントを提供したいと思います。

無雪期には・クライミング対象として使用される事は、まず現在では殆ど無い「奥又」の岩場も、厳冬期には『藤内壁』のアイス・エリアの中でも、快適なクライミング環境に変貌する。(上・写真)の様に、完全・氷結。大きな氷瀑として姿を見せる事は、今は滅多に無い。

【藤内壁・奥又の氷瀑・2ルンゼ】

クライミング環境としては、戦後から2ルンゼの「一ノ滝」から、上部の岩場を称して「奥又」と呼んでいた。
以前には、中尾根・クライミング後に上部の滝部分と、奥又の岩場の間を、易しい階段状、箇所を選んで下降路として使った事もある。俗に「ニノ滝」と呼ばれていた大きな「滝」形状の岩場が、冬季・期間【氷瀑】に、姿を変えた場合に、奥又の氷瀑と呼ばれるように、なったと思われる。戦前に氷雪・技術の場所として使われていたとの記録もあるが、それは下部に位置する「マイナス滝」等が、降雪で全て埋まってしまった様な条件だったからだと考察でき。戦後からの「アイス・クライミング」の対象・使用時には、岩場に打ち込まれたピトン類を、積極的に使い、カッティングでのスタンス確保で、緩く左上する「ライン」を登っていた。

『奥又・2ルンゼ・エリア』
斜上する2ピッチ・スケ−ルのラインは、近年では左下まで完全に氷瀑として、形成されるコンディションを見る事が少なくなりました。状態の良い時には、下部の「藤内滝」から「マイナス滝」へ、そして「奥又・左の直上ライン」へと、無理なく継続して充実した「アイス・クライミング」トレ−ニングの環境を与えてくれます。特に「奥又」の左上する緩傾斜部の左・下に発達・形成される氷瀑は、意外と規模もあって・、短いながらも垂直部を持った、格好の練習・課題です。そして、この「奥又」のアイス・ル−トは、余程の悪条件でもなければ初心者レベメのクライマ−でも、振られ止め(トップ・ロ−プ)練習なら、難易度を自由に選択して1日。氷の現場で様々なテクニックを学ぶのに、適した環境ですから、氷結・環境の良い時には『藤内滝』からの、継続で利用してみて下さい。

通常はアプロ−チとなる「藤内滝」が、アイス・クライミングの対象として、使えない場合は右岸(左・側壁)の中に、比較的・容易な登下降・路が、あるので状態を見て・確保・ノ−ロ−プを選択して「滝上・落ち口」に出て。藤内沢を登ると右岸(左手・支流)が、入り「マイナス滝」に出ますから、これを登って。右上すれば「奥又」。
この「マイナス滝」の、結氷も年々、規模が小さくなり。薄いベルグラ状態を慎重に突破するのには、現代的なギアとテクニックを要求されます。一般的には『巻いて』上部に、抜けるのが無難でしょう。
『奥又』の氷瀑・状態が、良ければ。平均・傾斜35度から、45度。一部の氷の膨らみ・部分に、やや傾斜を増した箇所が、ある以外は比較的、緩い氷の斜面がが続きます。状態的には、それ程、悪い部分が現れる事は少なく。氷の厚みも「スクリュ−・ピトン類」を設置する事が可能。右壁・側に支点を探す、事も、自分で適当に設置する事も、可能なので、初心者を後続させるのにも向いている「エリア」でしょう

トップ・ロ−プ設置・アンカ−に使い易かった『立木』は、終了点・付近のは枯れて、大きなのは無くなった。潅木を数本・利用して。バック・アップも忘れずに。「マイナス滝」から、継続して・登れる状態(氷・面の厚み)ならば、チャンスなので、ぜひ上部まで足を延ばして、稜線から(山頂部に続く)3ルンゼへ、継続して藤内沢を下る周回コ−スが総合的なトレ−ニング・プランとして、お薦め出来ます。

【山頂・直下 3ルンゼの氷瀑エリア】

『藤内壁』と、呼ばれるクライミング・エリアの中でも、最も山頂部・標高の高い『位置』に、ある、環境の為。冬季シ−ズン中で、最も確立・良く「アイス・クライミング」環境が、整う、場所として、以前より多くのクライマ−に利用されている「場」です。私達が「藤内壁」を、利用し始めた時期には「山頂ロ−プウェイ−」を利用して、山頂・駅から下降して「3ルンゼ」を、アイス・クライミングの練習・場所として使うと言う『考え』『方法』等は、考えも、及ばない最高に贅沢な遊び方だった。

『藤内沢』が、クライマ−の総合的な練習コ−スとしてのみ、知られ。利用されて来た「時代には」滝・部分の巻き道が、今ほど楽に通過出来なかったのと、一般・登山者と。積雪期・指向の人や、氷雪技術のトレ−ニングやアイス・クライミングそのものを目的の、クライマ−の、大きく・二つのジャンルに分かれた使用者・区分が、暗黙のうちにも了解されていて。ハイカ−・レベルの登山者や、写真・目的だけの登山者が、「藤内沢」を、登り・降りに使用する事は、まず無かった。

以前ならば、「藤内沢」から、登って上部で別れた雪壁や小さな氷瀑を越えて、敢えて難しい箇所を選んで山頂へ向い。ジャンダルムと鋸岩の岩峰の下から、大きく・段上に発達した3ルンゼの「氷瀑」を2ピッチで、登り切り。展望所に登る、そういった歩きの要素も多い練習方法が、このエリアの利用方法の主流だった。

近年では、「湯の山・温泉」より、山頂ロ−プウェイ−を利用して。簡単に、アプロ−チを短縮して、山頂・遊歩道から、ごく短時間の下降で、『3ルンゼ・エリア』取り付き・地点に到着できるので。初心者やアイス・クライミング入門者。私の様に「アイス・クライミング講習会」を、実施する者には最適な、環境として利用価値の高い、そして最も便利な「エリア」と言える。実際の「アイス・クライミング」を映像・紹介するのにも、関西・中京、範囲では、ここは絶好のロケ−ションとアクセス環境を、持っているので、そういった要望・依頼での『TV・現場ロケ。撮影』等にも、この数年は頻繁に利用した、結果。クライマ−も、含めてだが・山岳「写真・愛好家」や、滝愛好家の人達にも、注目される・影響を広範囲に与えてしまった。(少しばかり・映像・紹介の・機会を増やし過ぎた気配を、感じる)アプロ−チの良さを、最大限に利用出来た・結果「バリアフリ−・プログラム」での、様々な活動を、実際のアイス・クライミングまで引き上げて、そういった要望にも、答え易くなったのは、確かだ。
ガイド業務での、そういった利用は15年ほど、前から実際面で経験は、あったが。希望者・側への「映像・紹介」による、説明が可能になったのは、大きな支援・結果。可能性への誘導に最適な「情報」として使え出した。

『藤内壁』での・クライミング環境を考える上で『藤内小屋』の、存在は、一種のクライマ−にとっての、オアシス的な最適「環境」だと、私には思える。

『小屋』の、概観も変り。内部の改装も進んで小屋の周りの、景観も変化した。
夜景の「価格?」も、空港の開港から一段と上がり。小屋前からの景色も変ったが「小屋」の、良さには変わりがない様に思う。
最近、改装したベッド部屋は、快適だし。

【3ルンゼの氷瀑エリア】
過去、20年間で、私のスク−ル活動・範囲からは少々・外れるのに「大阪・神戸・京都」の民放・TV・関係での取材依頼や、製作会社からの問合わせや、企画コ−ディネ−トや、現場・状況を含めた「各種・情報」の、提供。そういった特殊ジャンルも含めた「ガイド業務」で、私は、この「3ルンゼ」を何度も利用しているTV映像で見た「氷瀑」や冬山らしい・景観を手軽に、訪れられるのではと・思い、この「場所」を知った、人達も増えて来ました。確かに、歩く距離や、簡単なアプロ−チを考えれば、中央アルプス方面の氷沢や、ゲレンデとして知られている【野猿の岩場】の、アイス・クライミング・エリアに、行くよりも・時間的にも効率的だと、考えるのでしょう。しかも、山頂・付近の「樹氷」は、広範囲に知られた、冬の風物詩として近鉄も宣伝に使っていますから。ハイカ−・レベルの人達も、踏み跡を下って「氷」を見物に来たくなるのも仕方がない現象です。

そして、初心者・同行ならば「大峰・最新アイス・エリア」と、共に・最もアプロ−チが楽な「氷の場」と、言えるでしょう。特に、関西ロ−カル局のみの、放送でしたが「2002年・2003年・2004年・2006年」と、『アイス・クライミング』関係での『テレビ映像』で、紹介した。文字通りの「ガイド業務」での、3ルンゼ使用・番組での「映像」が、認知度を一度に広げる結果と、なった様です。冬の御在所岳・裏道は、クライミング・ジャンルとは異なりますが、震災の翌年から、私が継続的に・主催・実施している「バリアフリ−雪山・登山体験・教室」ガイド・プログラムと、活動を組み合わせた。この変った「企画」への、マスコミからの注目度も高く。TV・新聞からの同行・取材(撮影)が、例年・継続されていて「全国系列TV番組」」や、同じく「全国系の新聞・紙面」でも『チャレンジド参加の・雪山・登山」として、『御在所岳』の・山名は、山の世界とは別に、全国的に、紹介されています。そういった中で『3ルンゼ』での、アイス・クライミング講習は、これからもメディアに、注目されて・いくでしょう。

条件は日々、変化する。
『展望台』へ、抜ける直上ラインは年々、氷結
状態が悪くなって来た。

【3ルンゼ】の、アイス・エリアの特徴としては「吹き上がる風」の影響を、強く受ける位置にある為、、右端に発達する氷瀑・内に、笠状に被った形状・部分が発達、形成され、この箇所が困難な「課題」として3ルンゼでの、アイス・クライミングを特徴付けている。以前ならば、中段から上部へ岩場の中のチムニ−状・部分や、両側のルンゼ地形も、氷の発達が良好だったが。3ルンゼ・終了点の山地を【展望台】として、整地して植生を変化させたので地面の保水性が、失われたのでは、ないだろうか。かっての様な氷結・発達は期待出来ない。
その為、最近では岩壁・上段の岩溝に発達する、氷の規模が小さく。2ピッチのラインとして登られるよりも、下段部「左右」を、トップ・ロ−プ利用で反復・練習の「場」として、使用する人達が増えた。取り付き・付近はシ−ズン中・休日ともなれば、込み合うので落氷も含めて、注意が必要。

私達が、この3ルンゼの氷瀑に通い始めた20年・30年、前とは寒気も積雪量も極端に、減少したので・以前の様に【藤内沢】から、3ルンゼへの沢筋での「雪崩」の、驚異・恐怖を知るクライマ−も、殆ど、いなくなった。その為、このアイス・エリアから下流部「藤内壁・藤内沢」を、気楽に利用する一般登山者の姿も多くなったが。「一概」に、そういった全ての、登山者を「危険」だとは、言えないまでも、やはり【装備面】の不足が、明らかで・雪山での対応が不充分なハイカ−・レベルの人達が簡単な気持ちと、装備で、入渓・入山すべき「コ−ス」とは、言えない。
【凍る滝・観賞コ−ス】も、冬のハイキングを楽しむ人達の大切な目的に、なりつつある・最近の風潮は、以前のように、クライマ−とハイカ−が、立ち入る「境界線」を曖昧に、変化させて来た感があるようだ。

同じ様な例で、以前ならば「山頂・稜線付近」で、樹氷・風景の観賞・目的で入山していた登山者や写真・愛好家?達も、「3ルンゼ」ならば簡単に「氷瀑」が見られると言う『情報』を知り、かつ現地に来て、多くのアイス・クライミング目的のクライマ−達が利用して、踏み固めた「下降路」を見て、利用してしまったら実際に、そういった「例」を近年では、数多く見るようになった。こういった「状態」は、かなり危険が拡大している状態として、注意が必要だろう。個人の自由意志を侵害、疎外してまで『注意』すべきかは、現場での判断によるが、明らかに「危険」と、思われる・人達には、クライマ−側から、丁重・親切に、角の立たない表現にて、やんわり・と注意やアドバイスを即した方が、安心して氷を楽しめる、というものでしょう。同じ「山好き」として、少しの配慮で・落氷・等の危険からも遠ざけられるので、アイス・クライミング・エリア範囲への「ハイカ−」の、立ち入りには注意しておいた方が良いでしょう。実際「3ルンゼ」取り付きに、下る・下降路では「スリップ事故」も起きています。4本〜6本・爪アイゼン使用者や、これは『冬・雪山』に、入って来る衣服ではないと・一目で判断出来るような「ハイカ−」が、一般道・以外に立ち入りそうならば、少しの「注意・声を」かけたい。

【藤内壁アイス・クライミング・エリア】 No2

『藤内滝』『板橋山岳会と宮崎登攀倶楽部』

2006/04/03 (月) 20:09:59

【御在所岳・藤内壁】  No1
 アイスクライミング・エリア