学ばなければ
30年ほど前に、友と語り合った『山やクライミング』の人生。国や国籍が、違っても同じ『山で生きる道』を選び偶然お互いの住む国とは、違った異国の「山麓」にて語り合った『夢』の、一つはクライミングを通した「より良い人生」当然。その『夢』の中には、他者への支援。チャレンジドへ自分達の職業が、役立てる視線と方向。

私は、この数年前に聴覚障害者と共に同じ、場所で一夏を過ごしていた。この、夜の私の賓客は英国から初めて高山に挑戦しに、やって来ていた全盲(視覚障害者)と友人のプロガイド。

子供の頃から、漠然と感じていた疑問や指針を偶然の出会いや、きっかけで感知・理解する事が、あるのだろう。

BS(ボ−イ・スカウト活動)には、実は縁が
深いのだが。ある時期から、私自身は、この
世界的に広がっている『活動』の、自分が住み
参加している、国での、そのBS活動に大きな
疑問や不信。ある意味での『挫折』を感じて
その世界から、身を遠のけた。

40年も前の、子供達は今とは違う。
違う事は、当たり前なのだが。
違い方には、大きな問題がある様だ。

国内には、当時は存在していなかった『ハンディ・スカウト』の活動に、強く惹かれた。興味の範囲を、越えた意欲もだ。思いは、実現できると単純に考える「子供時代」には、現実は、不条理で不合理だ。例に漏れず
この時の理想は実現しなかった。組織や前例・その他ありと、あらゆる大人の論理や既成事実が、夢を疎外し邪魔をする。

カブ・スカウトと呼ばれる小学校・世代の子供達
のリ−ダ-を、担当していた。
これは、今現在の私の『バリアフリ−企画』での
親子や子供達の、参加をジョイントするプログラム
で、経験が役立っている。
他の、私の企画と似た様な?野外プログラムを実施している大人になってから、何かの「アウトドア遊び」や「子供達」への野外教育を、行い出したガイドやカウンセラ-と呼ばれる人達とは、私の経歴は少し違うし、関わって来た年数も、多分・全く違う。其れゆえ・障害者プランへの子供達との、ジヨィント・プランでの、意識面でも活動面でも違いが大きい。
震災以前から、国際交流・関係の仲間や他の活動と並行するような形で、私とのクライミングや山で接点のあった若い連中からの誘いで、私は幾つもの『青少年・活動』の一端に加わる事が多くなった。
幾つかの『組織』は、青少年・活動を名目、名称に使用しているが明らかに違うと感じた。メディア関係や他の情報業界が主催する『活動』からは、講師としての誘いも受けて参加したが、やはり活動の内実を実際に体験し、観察すると活動の怪しい現実が見えてしまった。

『恵まれた環境を持つ、子供達』が、より恵まれた『環境を享受』するシステムや組織・活動に昔から大きな疑問を持っていた。その疑問や不満は、自分自身の体験が増え、活動の幅や範囲が広がる毎に大きくなる。

誘って来た若い仲間達には心根の優しく、ボランティア意識の高い連中が多かったが、そういった私からの疑問に答えれる者や『組織』以外で、活動する意欲や情熱を持つ者は殆ど、いなかった。逆に活動期間が長くなれば、成る程に彼らの組織やグル−プへの依存度や忠誠心とも見える「意識」は強まっていくようだった。

それぞれの『活動』には大きな、価値や意味がある。それなのに、参加者や活動の中核・中心となる人達には、どうしても組織としての価値観や考え方で偏りが生まれるのが残念だと思う。

奥秩父の山中で開かれた『しろうまの会』創立記念パ−ティ−に招待されて関西から参加した。
15年ほどの少年期から青年期の
『時代』に加わっていた活動の主・標語は『備えを常に』この御題目が空虚無意味だった事を『被災体験者』である私は知っている。

組織としての基本たる『社会貢献』『緊急時・対応』
この基本的な、二つの案件に組織として無力・活動が
行えなかった事は『存在・価値』を失うほどの問題。

『組織としての反省』を聞いた事も、見たことも無い。
流石に11年もの時間を経過すると、改める意欲も意識も失われているように見える。残念な事だ