『少年の夢に、応えようと考えた』残雪期の穂高岳でのバリアフリ-登山
クライミングとアイス・クライミング講習に参加していた御夫婦に偶然、入山日の上高地・河童橋で出合った。朝日新聞社からの氷取材の時には、夫婦でモデル参加して頂いた。
シ−ズンなので、バス・タ−ミナルから顔見知りに多く会う。

『上高地』から、撮影班もカメラを回し始め。
仕事を開始したので、周囲の登山者から
注目を集めてしまう。

日本TV系列『ニュ−ス番組・今日の出来事』特集・取材班が同行してのガイド山行
サ−ポタ-・メンバ-には、私の遊び仲間2人が、下山時に山スキ-で遊べる条件で支援参加してくれた。
大阪府立「盲学校・学生」のS君の『夢』に一歩。
「六甲山・蓬莱峡」での、事前トレ−ニングでアイゼン歩行練習
『関連・情報』ボランテイア『優良TV番組』
『明るく・楽しく・元気よく』出演・記録

2003年5月3日から6日までの記録

入山日は、絶好の登山日和に恵まれた。
上高地から、比較的・好調なペ−スで明神
まで進む。この当りは比較的、林道路面が
フラットで、起伏も数箇所の斜面を除けば
形状や踏み出す、足場への指示も簡単だ。
基本的な歩行サポ−トで、充分なのだが
先に待ち受けている「困難」を、考えると少し
ばかり先を歩行ペ−スも、早めなければなら
なかった。

明神を過ぎ。徳沢までに私の講習やガイド企画に、参加して頂いた人達と頻繁に会う。

シ−ズンなので、小屋前で休憩している登山者の中にも、顔見知りが多いが。以前の様に進行が止められるほどの人数ではないのが救い。
周囲の登山者からは注目を集めているが、声をかけてくるのは、知り合い達だけだ。

「山と渓谷」で特集が組まれた号で
アンケ−ト形式の、記事の中にも視覚障害者
自らが、アイゼン使用での雪山で用具に関す
る要望を書いていた。その中に、一般的な
サポ−ト方法では、前を歩くサポ−タ-を前爪
付きアイゼンを使用すると、接触の危険が大
きくて『前爪』の無いアイゼンを必要としている
と書いていた方が、いた。
この例でも、判るように障害者・側に用具や
装備を制限さすような考え方や、支障を認め
るような支援には、大きな問題がある。

アイゼンの前爪は、有効なのだから。
サポ−タ-側が、危険な接触を事前に回避
できるように私が、製作して使用している
「このサポ−ト専用・用具」を使用すべきだろう。
その辺りの、認識が理解されていないのが残念。

冬も夏も、バリアフリ−企画に親子全員で参加
して手伝ってくれている、市村ファミリ-とも
アプロ−チで、偶然に出会った。子供達は
相変わらず元気だ。

日本テレビ撮影スタッフは、登山活動・中の殆ど全てのシ−ンを精力的に撮影してくれていた。実際のニュ−ス『今日の出来事・特集企画』では、予想以上に放送時間も長くて、編集は素晴らしく。内容的には近年、私が数多く受けて来た、似通った『企画取材』の、中でも最高レベルの映像と紹介内容だった。

入山2日目。横尾山荘、出発時から悪天候樹林帯の通過から、本谷手前のデブリ辺りから基礎的な体力に、不足があるS君の疲労が見え出す。

サポ−ト・バ-に体重を掛ける比率も高くなりサポ−ト担当者も、疲労度が倍加する。

涸沢手前の斜面を登る。支援メンバ-のH君達は残雪の穂高で新調した山スキ-を使うのが、楽しみで付き合ってくれていたので、この辺りの斜面の登行にも、早速スキ-歩行に切り替えて後続していた。欲を言えば、サポ−ト者は、後ろから加重を掛けられてステップへの体重移動も疲れるので、前に廻ってキック・ステップでのサポ−トを行ってくれると、こういった場面では助かるのだが。経験しないと、その辺りの事は、中々・理解し難い。

この山行の1年前から、充分に内容を説明して基礎的な歩行と、脚力のトレ−ニングを幾度も要望していたが、本人には重要性は伝わり難い。

基礎体力の不足は、普段の生活で運動不足に陥りやすい、環境を考慮すれば、ある程度は致し方の無い事なのだが、この種類の『夢』を、次に引き継ぐチャレンジドの方達には、もう少し残雪期・積雪期の登山で実際に遭遇する、歩行能力と技術のトレ−ニングの必要性を、強調すべきでしょう。

日程に、もう少し余裕があれば・・・穂高の麓の風や、木々の匂いや、風景も、ゆっくりと説明し。雰囲気を楽しませて上げたかった

出会いは、いつも大切だ。この企画を取材してくれた担当の方も、山が好きな方で、奇遇なのだがICIの関東・登山専門学校に参加しているバリバリの現役だから。もう1本の、違うTV番組も取材・担当して頂いた。

入山3日目。明け方の確認時から、風雨は激しかった、夜明けを待ち、少し風が弱まった時点で、迷った。ガイドとしては、この時間帯の判断には様々な、条件を考えてしまう。自分の感覚では、気温と気象予報も加味して、遅くとも午後には、天候は回復すると、判断したので。北穂高へのコ−スの危険率と計算して、まずは出発と決断。メンバ-に伝えて、小屋を出るが、他の登山者は降雨を嫌って、出てくる者は殆どいない。

S君の出発準備は、事前の講習よりも数倍は時間が、必要となった。本人のモチベ−ションは下がっている事は、間違いないのだが、出発直前に敢えて、その辺りの事は無視しておいた。仲間達も、天候が悪いので、何時もの笑顔は少ない。撮影スタッフは機材の、防水や作業にも手間が必要そうだ。

パタ−ン的には、涸沢小屋のベランダを出るのが遅れてしまった。
北穂高・沢の残雪は降雨で緩んでしまったが、高度を少し上げると、幾分か堅雪斜面へと変化して来たのでS君のサポ−トにはロ−プ確保で、万全を期す。
一般的なハイキング・サポ−トとは異なり。雪上の歩行では、緩い斜面では危険性は意外と少ない。条件次第だが、今回の様に雪面が、降雨で緩んだ状態ならば、本人に、ある程度は自主的な歩行を任せて、雪面での歩行の感覚を覚えて貰うのも、更に急斜面での対応に、役立つと考えている。

サイド位置での、サポ−トも一般的な視覚障害者へのサポ−ト方法のセオリ-とは、違うが歩行技術に通常とは違った、雪上技術を指導する為には、横からの指導が最適。心理面でのサポ−トにも、顔を見ている位置は大切だ。声が聞こえているだけでは、不充分だと考える。見えてはいないが、感覚的には、視線を合せる。

残雪期の穂高岳での、障害者サポ−トでの登山は、私にとって経験は多い。
毎回、もう少し日程・登山期間に余裕があればと思う。そして、もう少し力量の揃ったサポ−タ-の人数が、揃えばとも思う。

雪面の状態を、視認確認できないので白丈に替えて、両手にシャフト長が70cm以上のアックスを両手に、持たせて登行するが、この傾斜帯ならばストックの使用でも良いかも知れない。

ただ、ストック使用だと、姿勢が立ち過ぎる為に、本人の傾斜範囲でのバランス感覚の優劣が大きく出て来るので、今回のS君には不安。

北穂高沢もゴルジュ手前の位置まで、上がって来ると雪面の傾斜度も強まって来る。傾斜が緩過ぎると両手アックスでの歩行スタイルが、前傾し過ぎているので、逆に少し傾斜が強まった方が本人には身体を普通に保って歩行出来るので、姿勢的には疲労し難い。もう少し、この傾斜範囲での歩行練習を積む時間があれば、身体に姿勢バランスを覚え込ませて、本人も楽なのだが。彼は、事前の六甲範囲でのアイゼン・ワ−クの時間で、この辺りの技術の必要性に関して、あまり熱心ではなかった。それが、問題だが、彼なりには現場で努力している。疲労度が見え始めた箇所だ。

タイト・ロ−プでの歩行が、一定の斜面・雪質
から必要になる。
本人が、自覚して理解する為に、スリップ時の
対応をシュミレ−ションで教えておく事は大切だ。

ハンディの有無に関わらず、出来ないと思い
込むのは禁物。出来ないと、予測される技術
や運動を経験する機会から、可能性が生まれ
ると考えたい。

今回の最高到達地点。北穂高高岳・東稜への夏期のトラバ−ス・ポィント付近。決断・判断は妥当。ガイド責任

この辺りで撮影したシ−ンが最終部として出ていた。

皮肉な事に、良くあるパタ−ンでもあり。出発時の私の予測も的中して天候は回復した。

サポ−トが、少しでも困難で危険と判断した箇所は私が全てサポ−トを担当した。責任は重い

ファミリ−参加者の子供達です

『ニュ−ス映像』が放映されて。六甲山の岩場で、テレビを見たと数多くの登山者・クライマ−から声をかけられた。予想していたが、やはり『山頂まで、行けば良かったのに』とか、もう少し『頑張れば山頂・登頂だったのに』その種類の意見とも、文句とも理解し難い言葉や論評を受けた。結果至上主義・過程や意味を知らない身勝手な意見なのだが、そういう風にしか『映像』を見れない感受性や感覚は、まだ多くの山関係者に残っているのは、やはり寂しい。苦笑もしない。反論も行わない。無視しておく。私の仲間ではない人達だ。
視覚障害の彼が、山行中にカメラで写した写真の中から選んでみました
毎回ながらシュミレ−ションの
段階から私は、胃が痛くなるほど
想定・予測される危険性や緊急時
を思い浮かべて対処に
回避の方法を考えて来た。
今回のプログラムでの最高・到達地点。山頂は遠い
2006年2月に朝日放送TVからのガイド依頼で『両足・義足』のチャレンジドのアイスクライミング・ガイド・サポ−トを担当して、翌月の3月には似通った『サポ−ト企画』の依頼が寄せられた。季節的には5月の連休時分・残雪期の穂高岳『槍ヶ岳・登頂』をメインとした義足のメンバ−を取材したいとの、問合わせだった。丁度、連載・原稿の締め切りと翌週の机上講義の、テキスト製作で忙しい時期だったので、詳しい相談は10日・以降と連絡。受けれるかどうかは、いつもの様に相談・内容次第。個人からの依頼ならば、考える必要も無いがメデイア関係は慎重に、ならざるを得ない理由が存在してい.る。


2008年、今回で23人目となる『穂高岳・残雪期』での、ガイド企画でのチャレンジド参加者は昨年2007年
に、具体的な相談を受けていながら私が、予約先着で『サンケイ・エキスプレス紙面・穂高特集』での担当
ガイドを引き受けていた結果、シ−ズン中に条件の良い期間で活動できない理由で、先延ばししていたプログラム。
問題点である、結露の多い『義足』の、根本的な改良・改造が今回は、間に合うかとか本人の体調が昨年と同じ状態で、維持もしくは向上しているかと言う部分にある。最終決定は4月までの、個別トレ−ニングの結果や、本人のモチベ−ション。担当ガイドとしては、何時もの様に全力・支援で応える。
長年の、ガイド山行時と同じ様に上高地に下り
企画の終了と下山を、完了させて同行取材で
苦労も共にした『撮影スタッフ』メンバ−と共に
全員で「平湯」で、ゆったり入浴。
入山日も。下山日も同じ様な天候に恵まれた。特に、下山日は快晴だった、カメラ操作に少しは慣れたようで、上高地に降りて、河童橋では岳沢の風景を私からの説明を受けてアドバイスの範囲を超えて、写真を写していた。
彼には、防水タイプの、これから山で使い易いカメラを1台プレゼントしてある、これから彼が使うのか、今、使っているのかは判らないが。
北穂高沢での『最高到達点』から、サポ−ト参加してくれた二人の仲間は、スキ−滑降で、さっさっと涸沢へ向けて快適な下山を楽しみながら、すっとんで行った。本当は、登りの数倍は苦労するはずの、下降でも少しばかり支援を期待していたのだが、せっかくの春の休暇、しかも快適な斜面を前に持参のスキ−を使え無いというのも、彼らには我慢できないだろうから、仕方が無い。支援者は少ないのだから、こういった機会に、ここまで手伝ってくれた事だけでも感謝しなければ、ロ−プ操作や、こういった状況では手助けの役に立たない、若者一人も私が確保して、私は疲労の激しいS君を、しっかりと確保しながら少しずつ涸沢小屋に向けて、下降を開始した。

北穂高沢を下降中に、S君が滑って落ちていった小さなスノ−ボ−ルが、邪魔で危険だと『文句』を言って来た、数人の登山者が、S君の弁解に、さらに逆ギレ状態。障害者である、事を察知して、さらにTV取材を受けている事にも察知して、何かバツの悪さを感じていたようだった。
涸沢小屋に立ち寄り、スキ−で先に下りた二人を探すが、彼らは小屋では待ってなくて、番頭さんや従業員の顔見知りメンバ−に挨拶してから、撮影スタッフと小屋を後にする。テント場・下のデブリで先行していた二人に合流。彼らは、スキ−が使える範囲まで、滑る為に再び先行して下り始め、我々も、かなり疲労で脚に問題が出始めたS君のペ−スで、本谷へ下り始めた。

本谷『デブリ帯』で、疲労も重なり、S君は何度が大きく転倒してしまう。サポ−ト・バ−を握っていたのと、横滑り程度のスリップだったので、大きな身体的なダメ−ジも受けなくて、怪我は無くて幸い。
一人に対して、サポ−タ−は二人が基本だ。
一般ハイキングとは異なり、こういった本格的な雪の急傾斜・斜面では必然的にガイド的なロ−プ確保の技術を必要とする。

視覚障害の程度にも夜のだが、両手に使用する用具を、どの種類とするのかは状況次第。長さが、充分で軽量ならばアイスアックス(ピッケル)を、左右の両手で使用するというのも、間違いではない。
私のプロガイド経歴の中で、23歳の残雪期『穂高岳』からの
バリアフリ−対応プランとして、今回で17人目のチャレンジド
メンバ−となった。無雪期を含めれば、この『穂高岳』周辺で
の企画も、数多くの実施となったが今回2002年・残雪期の
企画は、日本TV系列で『今日の出来事ニュ−ス』特集として
かなり、製作担当者との相談も目的に合致しており。

私自身も、かなり集中し、かつ緊張感を強く持ったガイド活動
となった。事前・講習には通常の『講習プログラム』に、個別の
残雪期・装丁のアイゼン・トレ−ニングやロ−プ確保に慣れる
目的での『クライミング講習』そして、より山との関係を密接に
親しんでもらいたいとの願い出『沢での単独ヒバ−ク練習』や
キャニオニングの体験も、彼には受けてもらって穂高での山行
に備えてもらった。