武庫川・本流『奥高座・下流・中流の開拓エリア』

70年代の後半。穂高から下山して秋から、翌年の4月頃までの期間に頻繁にル−ト開拓の予行練習・感覚で通った『岩場』だが、JRの福知山線・複線・電化工事に伴ない、軌道が変更されてからは対岸から、多数のハイカ-の視線が集中する「目立つ岩場」に変貌してしまい。足を向ける事も無くなった。以前は、この岩場の存在を知る者は殆どいなかった。
「新岩」への、少しばかり変わったアプロ−チに武庫川に沿って歩くような者や、現在のビックボルダ−付近か、中流部の滝場付近で増水時に激流の横断・徒渉練習には、私も使っていたが。まず、他のクライマ-や登山者には出会わなかったエリア。

86年から、何度かの風水害で岩場の下部の様相に大きな変化があった。
最上部の岩まで、中間箇所の潅木帯や泥ルンゼを組み合わせれば数ピッチのクライミング゜も可能だったが、植生の回復は早く。継続ラインとしての、整備箇所は20年間の空白期間で全て、元の自然状態に戻っていると思われる。

JR福知山線の車窓から、ほんの僅かに見えていた『新岩』は、この川沿いの岩場から近い。
現在は、軌道が変わって、廃線路は誰でもが楽しめる歩行コ−スとして知られ、通年・多くのハイカ−やウォ−キングを楽しむ人達が、訪れる人気コ−ス。
上流には、特徴的な岩塔(武庫川のオベリスク)や、小規模な岩場も点在していて目にして歩いている人達は多い。川沿いにも、古くからクライミングの対象として使われていた岩場が一つあり、私も一度だけ仲間を連れて登りに行ったことがあった。その時に取り付きに、当時としては珍しい金属プレ−トが設置されていたのを確認。
いつ頃に開拓されたのかは、分からないが『新岩』が、開拓されてゲレンデとして使われ始めた頃には川沿いの『岩場』にも、クライマ−が来ていたと思われる。
韓国製の安価な「クライミング・シユ−ズ」を現地で購入して来た頃で、仲間達が使っていた。
上・下のクライマ−は私の長期ツア−の途中に現地・合流で『マツタ−ホルン・ヘルンリ稜』をガイドした方。
この20年ほどの期間で、他のクライマ−と
この周辺で出会ったのは2度だけ。
廃線ハイキングがポビユラ−・コ−スとして
知られ、川原のボルダ−もクチコミで情報が
出回った結果でしょう。


格好のボルダ−が、点在していたエリアへの
アプロ−チとして、軌道跡から直接・河原に降りれる金属梯子が利用できていた時には、簡単にボルダ−触れられたが、現在は使えない。

武庫川は時として、驚くほどの水量増加を見せる
渓流内の岩の、位置関係さえも変化する程なので初期のボルダ−・マップは役には立たなくなった。最も、初期の開拓時には、下流部・範囲だけ
で『笠置』と同程度のボルダ−・エリアが利用でき
たが、この20年間に工事の影響も含めて幾つも
の対象・課題が失われていった。

ボルダ−とル−トが、近接した六甲山・周辺の中
でも、楽しめるエリアだったが、現在では環境が
激変していて、ダム建設に関しても予断を許せな
い雰囲気。

『轟きの瀬』周辺も、台風の被害で川底に変化が
見られるので、冒険的な遊びに使うのには注意
が必要だろう。
15〜16年ほど前の、この川原のボルダリングを
楽しんでいる写真も、スライド分が多かったので
震災後のゴタゴタで、一枚も見つけられなかった。

2006/03/29 (水) 18:47:53

水流で磨かれたボルダ−はツルツルで指に優しい
反面、フリ−クシヨンに頼ったム−ブは困難で楽しい。
この20年間で、驚くほどに地形は変化して笠置・以上
に、ボルダ−の位置さえも変っている。
数年前に、この『岩場』に入る住宅地が武庫川の氾濫で濁流が堰堤部を越えて住宅地を襲い
大きな被害を与えた。私は同時期に被災地・復旧のボランテイア活動で兵庫県・北部の豊岡など
へ社会福祉・協議会の企画で、少し活動に出向いたが、この・近くの『被災地』の現状をリアル・タイム
では、詳しく知らなかった。新聞やTV情報は、いつもの事だが偏り、断片なので。

岩場利用、時にバイクの駐車などで住宅地の片隅を利用させて頂いていたので、こういった時にクライマ-サイドの人間として、お手伝いに行きたかった。出遅れてしまい、支援とは言えないまでも土砂の清掃・程度の、お手伝いには伺いたかった。
『武庫川・本流は増水期の、アドベンチャ−に最高のフィ−ルドだが、残念な事に水質に問題』