| 『六甲山に見る、現代・登山者、現象考学・辛口?批評』 |
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| 意味不明・設置者、不明。ゴミと化している山中の『標識?テ−プ』 |
| 無用なテ−プ類や、プレ−トの設置は止めましょう |
| 『六甲山』は、他の都道府県の地元の「山と言われる」中低山等と、比較しても交通に関しては非常に便利な山と、数多くのハイキング・コ−スに恵まれている。 標高的に見ると、1000mには、少しばかり高さが足りないが瀬戸内海・東端の海を眼下に大阪湾の遠望を、含めて『海から近い山』として、麓の神戸市、芦屋市、西宮市に広がる山裾からは 住宅地を抜けて、更に縦横に走る道路網も年々、六甲山地に近寄る環境で観光・市民生活・住宅地とハイキング・コ−スが、これほどに密接に関係している山地・山は少ない。 |
| 俗に『標識テ−プ』と呼ばれる、物が六甲山のハイキング道に、これほど多く設置され出したのかは不明。以前ならば、冬山用に『標識布』を使う事が、一般的だったが標高も積雪も、六甲山に限って言えば、この標識布が必要な環境は、まず存在しない。目立ち始めたのは、この15年・範囲であり、震災以降に急激に、目に余る場所と量が様々な場所に設置され出した。 登山のコ−スで、迷いやすい箇所や分技点。それも、明らかに本道と獣道の様に、何かしら意味が明瞭な場合と、目的を持って設置された物が、これまでの『標識・設置物』これらは、公共的な機関や、行政や山地所有者が取り付けたり、山中に残したものではなくて、完全に登山者や山での遊びを、楽しむ側の人間が設置したり、残して行く物なので「設置者」の氏名や、立場を表明している物は、ほぼ100%存在しない。 勝手に設置したり、木々に巻き付けたりして、放置されて風化・損傷してゴミと化していても、まず設置者が回収する事も、あり得ない。無責任の代名詞としての『山の設置・放置物』とも、言えるだろう。 |
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| 私の見知っているだけで『六甲山』範囲の山中 には、この種類の不法に設置・造られた小屋 に近い、個人が身勝手に建築・組み立てた物 が数か所、残されている。 造った人は自由に楽しんでいるのだろうし。 誰かの、役には立っていると思い込みたいのだ ろうが、これも自分達さえ良ければ、良いとの思 い込み。身勝手な行動だと言わざるをえない。 |

| 長野県・穂高岳『槍ヶ岳・北鎌尾根』の不法 ペィント標識は、厳しく弾劾された。 この鈴鹿の『御在所岳・裏道』に、不法・最悪な ペィント・落書き(本人は標識だと、思い込んでいる) も、藤内・小屋の御主人を筆頭に、地元の登山者 クライマ−・自然を本当に愛していて、楽しもうと山を 守る立場に立っている人達から、強く非難された。 こういった犯罪にも似通った、山中での、不法ペィント 落書きを行う者達も、最近は急増している。 |
| 右・写真の常識を欠如したとしか思われない『不法ペィント』された露岩は、御在所岳への一般的なハイキング・コ−ス途中の、明瞭な登山路に存在していて、写真を見れば判るとおりこの巨岩の右横の登山道を、この場所に来て判断できない事は現実的に考えられない。明らかに、自己顕示欲や何らかの意図を持って標識ペィントを行っているとしか、思われない。常軌を逸した・そう思われても仕方の無い現状だ。 この不法ペィントを、この場所で行った人は、現地では 知られている。どのような、立場・自分で何を表明しているかも知られている。恥を知るべきだろう。 |

| 山頂からの展望・景観を楽しみたいと望むのは 多くの、登山者の期待であり・願いだが。 それを、身勝手に現実のものとする為に山頂周辺の植生・自然環境を強引に変化させてまで得ようとする行為は、全くの別物だ。常識・欠如とか、そういったレベルや感性の問題を超えている。何をしても、許される。 私の勝手。人が、見ていなければ山中では、何をしても良いと思い込んでいる、この行為は大人としての良識や、社会生活での常識やモラルの範囲の欠落以上の、ある種類の『犯罪行為』と呼んで、差し支えない。 実際に、これは法的に違法だ。 |
| 六甲山『荒地山』周辺は、以前から無法地帯の様に 特定の個人、少人数のグル−プが゜、我が物顔に周囲の自然環境を、破壊している山域として良心を持つ山好き、自然を大切に思う人達からは不評な山域だ。 自転車道の様に、広く方向も明瞭なコ−ス両側に異様とも感じられる、立木や路岩に吹き付けられたスプレ−ペンキの跡や、木々に直接、樹皮を削り傷付けて彫り込まれた、矢印など。 この周辺は、登山者のモラルの崩壊や自然保護 との意識の隔たりを、明と暗でクッキリと識別でき る山域。 |
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| 一昔前ならば・・・・少しは、猶予できるかも知れないが 現在の状況や、社会常識・通念の範囲からも現在の『荒地山・周辺』 で、放置されている。見て見ぬ・ふり感覚で誰も規制や制止を行わない 現場は、やはり異常だと感じる。 私は過去に「避難小屋・荒らしの無法者達」10人ほどを相手に正しい 事を、批判して集団で暴行を受けた体験を持っている。その体験から 自身に及ぶ危険・危害を、実体験として身を持って恐怖も知っているが 山ぐらいは、正しい事と、正しくない事は明瞭に区別しておきたい。 「イイコチャン」なので、とか「判っているけど」そういった全体の 視線や言動が、何一つ不法行為や不正義を許している現実には抵抗 すべきだと思います。 |
| (上・写真)世界で最も、小範囲の空間に、残置された不要・無用 の『標識テ−プ・モドキ』と不法ペィント |
| 私は、この十数年間の『六甲山・範囲』での、山行中に明らかに、不法だと判断した個人と数人グル−プの男性ハイカ−達に、貴方達の行為は「違法で無用」だと、はっきりと現場での、行為を注意・批判して来た。全ての実例で、遭遇した人達の年齢層は、高く。社会的には、分別・常識を弁えた世代と呼ばれる年齢に達した人達だ。登山レベルやキャリア、一般社会での職業や経歴や、立場。そして学歴や職業上の功績などは、この現場での行為に関する、弁明の役には立たない。自分達の「所属・山岳会名」や「氏名」は、決して示さない。 警察・法的な拘束力とは別次元での「山での自由・活動」や「趣味の山歩き」を、盾に決して自分達の「非」は認めない、これらの現場で発見した人達は、個人的に見れば悪人とも思えない。 彼らが、何故?と、毎回ながら思うが、身勝手さ。理由の不合理さ、自然保護に関する知識の欠如と、自分達の行いが、他者の利益に繋がるという勝手な思い込みに、関しては共通していると感じる。 毎回、他者が周りにいるか、私に同行者が、存在する場合は悔しいが、私も一瞥を投げ掛けて直接の会話は控えて、素通りする。私一人の場合は、決して見逃さない。危険は承知での、批判である。 喧嘩する気など、毛頭無いが『理屈・正論が通じない輩・連中』は、街中の若者だけとは、限らない。 山でも、人に対する『常識や良識が、決して通じない・危ない』人間は、増加している。 私は、20数年前から、その事を実体験として誰よりも、よく知っている。 |

| 幼児を抱えた親子連れハイカ−は、軽アイゼンさえも着用していず、子供会の集団は子供達の人数に比例して引率の大人達の人数は、あまりにも少ない。急斜面の通過で、危険を感じた子供達は動けなくて狭い登山道では大混雑となった。登山者の中には、声を荒げて【子供会】の引率者を叱責する者も多くて、周囲は陰険な雰囲気に包まれていた。これが2008年の凍る滝シ−ズン最後に、なりそうな連休のヒトコマ。 |
| 明らかに街中で履くスリップオンのスニ−カ−・タイプのシュ−ズに、滑り止めとして靴下を被せて履いたり、細い梱包紐を数回、靴の上から巻いただけの様な、ごく普通の人達も入山して来るようになった。一瞥しただけで、明らかに雪の山には、不似合いだし危険だと感じる。 |
| 譲り合ったり、危険を回避する為に行動を起こそうとする登山者は少なく、危険度は倍増している。 |
| 2008年2月10日の裏六甲山【七曲滝】周辺 |