芦屋ロックガ−デン・奥高座プロペラ岩』
                     『写真・撮影者 山本哲男氏』

『84年度版の芦屋市・市勢要覧』の芦屋ロックガ−デン範囲の、説明写真として使用されています

『1971年〜1988年』この期間は、頻繁にフリ−クライミングの場として『プロペラ岩』『奥高座の岩場』周辺を使っていました。この周辺では、主に『ブラック・フェ−ス』と呼ばれている岩場がクライマ−に知られていますが、この『プロペラ岩』と隣接する岩場を利用している人は少なく、休日でも静かなクライミングが楽しめる場所として、以前から『通好みのエリア』です。

RCC時代の、次ぎの後継者達がクライミングの場として開拓。
詳細な情報や記録は少なく、公的な『記録』も殆ど忘れられた岩場です。

私は中学生の頃から、込み合っていて大人の目が気になる芦屋ロックガ−デンの中で。この周辺の岩場は一種の探検気分が味わえて、当時は岩場までのアプロ−チも不明瞭だった為、いつも貸切状態で使える岩場として、お気に入りのエリアとして良く仲間達を連れて行った岩場の一つ。
2006/11/09 (木) 17:20:45
範囲的には全く別のエリア・場所範囲と思えるのだが、1970年代には『芦屋ロック・ガ−デン』の混雑さを嫌って、奥高座・周辺の旧RCCの雰囲気を感じられる『岩場』から、お多福山の山頂を超えて、山稜の車道まで出てから岩場に降りたり、木々の間に見え隠れする『岩場』に遊びに寄ったりしていた。クライミング目的と言うよりは、新しい山道の発見とか、古い岩場の再発見の様な感覚を楽しんでいた頃の記憶だ。そういった記憶の中で数少ない岩場でのクライミングは堡塁岩の近くの『石切り場跡』と共に、最近では『水晶谷・上流部の極楽渓の岩場』と呼ばれる岩場等が、含まれる。

標高的に『六甲山』の山域の中では、『堡塁岩』や『石切り場跡の岩場』と同じく、一般的なハイキング道
利用で、山頂近くの高い場所にありアプロ−チの不便さから訪れるクライマ−が、少ない岩場と言える。
現在では山頂ドライブウェィ−経由・利用で『岩場』上からの、下降で比較的アプロ−チを短縮できるので『岩場の整備』等を積極的に、行えば再生する可能性は残っている。
『奥高座の岩場』に関しては、ゴルフ場ゲ−ト付近から、荒地山・山頂の手前に出て支尾根を下り、各岩場へと利用できる『登山道』が利用できるが、以前のように単純ではなくて明瞭なアプロ−チ道とは言えなくなっている様だ。岩場の位置関係が判らない場合は、芦屋ロック・ガ−デン入口の中尾根から分かれて右の谷に入り、キヤッスル・ウォ−ル前からの『奥高座の滝』への一般ハイキング・コ−スを利用するのが、最も判り易く『荒地山・山頂』から『岩梯子』を下り、ボルダ−・エリアの下部からトラバ−スして『ブラック・フェ−ス』下部に出るのも、周辺の岩場の位置関係を知るのに適している。

この辺りの岩場には、81年から86年に関東や九州の友人達と何度か新しいラインを開拓しようと訪れたが、その当時には来訪者の痕跡を見るようになっていた。

『荒地山・西側・高座谷左岸』に点在する各・岩場群を最初に『奥高座の岩場』と称したのは、大阪の『姫島正和氏』で、小豆島の吉田の岩場でOCSの林君達と左岸壁の更に、奥の現在はダムと化してしまった当時は未開拓だった「岩場」を、一緒に開拓した私達の知人でもあった。『関西の岩場』P232〜O233で、六甲山『奥高座の岩場』として各ボルダ−を紹介している。

紹介文の中に開拓は『大阪アルデ・ベルグカメラ−ド』と記載。主に、荒地山・西側の支尾根範囲のボルダ−群と一部『荒地山ボルダ−・エリア』範囲と、重なる箇所のボルダ−を紹介。
姫島氏・達が、初期に設定した開拓ボルダ−のライン数は約12本程度だったが、後に数倍のラインが完成していたが、荒地山ボルダ−と同じく震災時に、幾つかのボルダ−は、大きな被害を受けてアプロ−チが判り難いボルダ−を含めて、最近ではライン数は減少している。
初期の開拓が一段落した後で、まだ幾つか積極的にボルダリングの仮題としてクライマ−の手が触れられていない、ボルダ−や可能性の残っているボルダ−も存在する事から、再整備の手が入れば環境は改善されると考えられる。

『プロペラ岩』の過去の写真は、70年代からの記録として白黒写真も多数、所持していたが他の情報や写真記録と同様に、全てを失っていて『岩場』で、偶然・お会いした先輩達を写した貴重な記念撮影・時の、写真も今は残っていない。
(旧)RCC時代に、藤木氏メンバ−と共に『荒地山の岩屋根』をビバ−ク地として、周辺でのクライミングを楽しんだと、私達に話してくれた先輩の写真を無くしたのは、本当に惜しい。

滅多にクライマ−が訪れることの無い『プロペラ岩』などにも最近では、クライマ−の姿を見るようになったとか、2008年3月に講習生の、Tジジチャンがクライミング中のクライマ−を見たと言っていた。
有名な『イタリアン・リッジ』等が、消失してしまった現在では、RCC時代を思い起こせる岩場の一つとして奥高座の岩場へ、無理なく継続できる、古い岩場も利用する価値はありそうだ。

尚、震災時に中央稜・側から転落・移動して高座川・河原に定置した数個のボルダ−を一番、最初にボルダ−の課題として遊んだのは、多分?私達だと思われる。
俗に『奥高座の岩場』と称された、岩場群へのアプロ−チは20年〜30数年前は単純だったが、現在では
芦屋ロック・ガ−デン『地獄谷・周辺』で、頻繁に見受けられるように、なって来た少数者の手になるものと思われる蛮行行為と全く、同じ様に迷路の様に登山道が、切り開かれて先達の遺してくれていた、過去の正規道は失われかけている。

立木の不法伐採から始まり、中には本格的と見紛うばかりの土砂工事まで行われている。恥かしいのは、歴史的な経緯も知らずか、地名や岩場を自分勝手に変更さす輩も登場している。
『奥高座の岩場』は大きく3箇所のエリアに分かれており、それぞれの岩場を確認するのは初めてでは難しい。訪れるクライマ−も少なく、震災で荒地山・周辺の岩場も大きな影響を受けた。