




| 『代用・練習チムニ−・タイプ』仁川渓谷・堰堤チムニ− |
| 凹角ル−トと呼ばれるタイプは六甲山系の岩場にも多いが 純然たる『バック&フット・タイプ』のチムニ−が、存在する岩場 は1960年〜70年代に、私の活動範囲には存在していなかった。 その後に、同じ六甲山・範囲にも充分に、このタイプが体験できる 岩場やル−トを知るのだが、初期の頃には実地体験の場が殆ど 無かったので、仁川渓谷に来れば、必ず遊び半分・練習で、この 堰堤・横に設置された『水門』の中でチムニ−登りを意識しては 幾つものパタ−ンで、将来の、こんなタイプのクライミングに備えた。 |
| 72年、当時は他のクライマ−から馬鹿にされて いた。確かに『室内営業壁』は、おろか人工的 な設置物を登る、行為やその後のビルダリング の言葉さえも、誰も知らなかった頃だから。 この種類の『変った事を、するクライマ−』の意識や行動を理解出来る、クライマ−は殆ど存在していなくて当然。 しかし、この頃の創意工夫の『トレ−ニング』の基礎は、その後のクライミングで役立った事は確か。 |
| 今でも、毎夏に子供達との企画で、渓から・この 堰堤・水門に来ると手軽に登って、子供達を喜ばせるのが定番。 私以外に、ここで遊んでいるクライマ−を過去 30年間で見た事は無い。 |
| いろいろな山々・岩場でのクライミングを『夢見て』 トレ−ニングに創意工夫を加えるのは、有益だと今ならば 誰でもが、認め。そして推薦する。 体験の量と質は、頭の中の問題でもある。 『仁川渓谷の岩場』は、堡塁岩や不動岩と客観的な比例で 内容的に質も量も劣り、不足する部分が多かった為に私達 地元クライマ−は、良い工夫する機会が得られた・のかも? |
| ゆうに3人分の重量で引き上げに一人、苦労していた岩壁で頂上 手前の最後の「水路の様に、水が流れるチムニ−」の、突破に この重いザックを取りに、もう一度・壁を、下って来るのが絶対に嫌 で、チムニ−内での登りながらの段階的・引き上げを行えたのも 実際に、その技術をシュミレ−ションで体験していたから、出来た事。 |
| 様々なタイプのワイド・クラックやチムニ−は、それぞれに個性的で 楽しく、そして時として厄介な課題。 個人的には、このタイプの全身を使うクライミングが、シュミレ−ション として、せっせっと堰堤・使用で楽しんでいた頃から好きだ。 |


| この私の自宅から近い忘れられ出した渓谷の 岩場では、過去・合計13回ものTV関係での 撮影や情報・映像に関しての利用経験があり つい最近も、『藤原超合金』や『フットボ−ル汗』などの、いつもの関西風お笑い系・番組でも 中山筋肉くん、フットボ−ルアワ−の二人や他の関西・吉本のタレントさん達を過激にシゴキ 笑える映像を幾つもテレビで紹介して来た。 この関係のTV番組での使用は8回目。 この人工物を使用したのはTV映像では多分 初めての事だと思われる。 最近、メンテナンス用に水門上げ下げの金属 バ−部分にグリス(潤滑油)が、たっぷり散布 されているので、確保使用のスリングや用具 の一部が、洗っても落せないほどに汚れてしまった。 |
| 2006年12月16日に現場ロケで使用した時に撮影。『クイズ紳助くん』でのガイド業務 |
| 1976年 まだ『室内営業壁』が関西はおろか、日本国内では認識・理解されていなかった頃・ この頃から、側道外壁の工法で採用され出す事が増え出した『バネル方式の壁』の利用で遊び 始めたのは、新道への変更で車道下の通行車が途絶えた、とある六甲山・方面の車道・横の壁 が人目に触れずに利用できたから。 1980年代の中頃には、大阪の若い友人達は自分達の居住エリア範囲で、こういった外壁利用 のクライミング練習を頻繁に取り入れ出して、その中の幾つかは雑誌にも公表・公開されたのだが一般社会では通用しない、こういったアウトロ−的な行為は基本的には秘密にしておいた方が良かった。特に『大阪城の石垣』等を、紹介したのは間違いだと思っていた。 |

