私が、長期「露営」に入り出した頃には、このビッグ・ボルダ−は、県警・常駐隊により「遭難者・安置」の「場」として頻繁に使用されていて。私自身も、数回・遺体に頭を下げた記憶を持っている。当時は「オロク・イワ」とか・・少しばかり活字に書くのが、はばかれる「名称」で、呼ばれていたが・・・・

あまりにも、それらの「名称」では、ボルダリングを楽しむ気持には、ならない。

当時の「長野県・涸沢・緊急常駐隊』副・隊長だった猿田さん・オヤジさん。に、毎夜の酒盛り?機会を見つけて、ある夜に「昼寝岩」と私が、勝手に命名・・『六甲山・妙号岩』の、あの「バチアタリ・ル−ト」の名前を、勝手に「日本・登山体系」に、執筆した時と同じパタ−ンで、今でも名称としては一般的でしょう・・・?

当時は『滝谷』に、登りに来るクライマ−達には・殆ど注目されていなかった。北穂高・山頂から、涸沢槍のコルまでの稜線。主に北穂高・滝谷・最上部、稜線・付近の岩場。
唯一『南面』に、面していて。滝谷側が深い乳白色のガスに包まれている時でも、稜線を拭き抜ける強い
「風」で、太陽の光りを浴びての、快適なクライミングが楽しめる場合も多くて、私には北穂高岳・東稜からのアプロ−チで、北側『滝谷』での、クライミングを終えての余裕の周回コ−スのベスト・クライミング・プランの、一つ。

悪天候・時の小屋での、停滞・時にも、利用価値が高く。ガイド業務で、他のクライマ−達が『稜線』で、動けなかった・動かなかった時にも、こそっと快適なクライミングを楽しみに、出れた『穴場エリア』

積雪期にも、稜線の中でも目立つ特徴的な三角形の岩だ。古いクライミング技術書の中にも、チムニ-・クライミングの説明としても登場しているが、滝谷の岩場の範疇には加えられていない。

黒部五郎岳のカ−ルに点在する『ボルダ-』や北穂高への楽しい登路『東稜』付近の小さなフェ−スや山頂下の岩場と同じく。

意外と登山者が、以前から近くを通過しながら、見落とされていた『遊び場』は稜線付近には、多い。主目標のクライミングの場までのアプロ−チに存在するものが多いので、滅多に登られる、登りに来ようと考えるクライマ-は、いない。

『穂高の岩場』編纂時に涸沢のボルダリングを、紹介したいと依頼を受けて、原稿を執筆時、これらの見落とされた稜線や山頂・直下の面白い『課題』も少し書き加えたかったが、一つの『執筆・項目』としては、破格扱いのペ−ジ数と紙面スペ−スでボルダ-・エリアの紹介を書かして、頂いていたので追加分の余裕は無かった。

『岳人・別冊』で、ガイド担当として北穂高岳「東稜」から、北穂高岳。そして、稜線から『滝谷・ド−ム中央稜』でのモデル出演も兼ねて、記事の中で、この主稜線の岩場も幾つか使用して。本誌の方で、紹介の機会を頂いたのに、個人的な理由で『企画』を、一度だけ無駄にしてしまった。今から思えば、とても残念な事をした。

滝谷・上部の主稜線・以外にも穂高岳を広く見ると。奥穂高岳
周辺にも、幾つかの岩場が存在していて。その中の「涸沢槍」
等は、無雪期には価値が見いだせなくても、残雪期には人に
知られていないだけに、シズン中には素敵なクライミング・ル−トとして使える。

奥穂高・直下の巨大な岩塔(ピナクル)とフェ−スも訊ねるクライマ-
は皆無で。フリ-の良いル−トが存在するだけに、少し惜しい。
奥穂高岳から、ジャンダルム方面に視線を向ければ。
『ジャンダルム』以外の岩稜や尾根の岩場に、クライマ-が訪れる
事は、殆ど無くて。この辺りにも良いル−トや開拓が可能な『場』が
残っているだけに、私から見れば少しばかり惜しいと思う。
(右・写真)のグラ−ト・ツルム周辺の岩は、岩質・ル−ト内容共に良くて、私は個人的に好きなエリアだ。

涸沢カ−ルのボルダ−から、少し足を延ばして「北穂高岳・東稜」の岩稜周辺で短いが、アルパィン的な環境の中で快適な、ボルダリングやショ−ト・ピッチのフリ−・クライミングを楽しむ事も多かった。特に、お気に入りは、北穂の池や、氷河公園まで1泊分のビバ−ク装備を、持ち上げて誰一人いない「別天地」で、気楽なボルダリングに興じた事。
             この辺りに、クライマ−が訪ねて来る事は、殆ど無い。
『重箱の隅』と、言われるのが嫌なら穂高岳でも、まだ充分に記録にも、人の噂でも聞かない、隠された岩壁・岩場に、誰も触れに来ないボルダ−は,存在していた。2007年、現在でも視線を変えて、創意・創造性の視点を広げて見られれば、可能性のある岩場は多い。
必要充分な過去からの『情報と知識』天候に左右されない、現実的なクライミングの為のトレ−ニング環境も手に入れて、用具の安全性は技術と共に、ほんの20年前から比べれば、格段の進歩。

それでも、まだ自身の手によるル−トの開拓に向わないのは、とても不思議。『開拓』の言葉が、トップロ−プ・リハ−サルに、ハングドックの無制限な利用で、行われるフリ−ル−トでしか価値を持たないとしたら、かなり寂しい現実。

少し、位置が離れた飛騨側では現在も、夏冬共にユニ−クで面白いクライミングが実践されているのに、穂高周辺では最近、あまり興味を引き付ける話題を聞かなくなったようだ。

(下・写真)○○岩の裏側。涸沢へのアプロ−チ途中やキャンプ地からクライマ−ならば、だれでも一度は興味を持って、見つめていた壁の一つだと思う。

まだ『発見に創造性と想像性』を刺激し、楽しめる『場』は数多く存在している。
久しぶりに『ド−ム西壁』で、遊んで来ました。2006年キャニオニングの合間に、時間の足りないスケジュ−ルを急いで。2007年に『産経新聞3000mの風・企画』で、残雪期から担当・記者と同行して、この滝谷でのクライミングも予定していたが、『キャニオニング・スク−ル』最盛期の多忙時期と、重なってガイドを引き受けられなかったのは、とても残念。とにかく、本当に何度も登りに行った、想い出の多い壁ではある。
完璧にアメリカ・ナイズされた『フリ−クライミング』がニュ−ウェ−ブと呼ばれて(関東のクライマ−はクライミング関係での『風』表現を、好むらしい。西風とか、何か流行を言葉にする時に頻繁に使うようだ)活発化し出した時期に、取り残された感があるのが『稜線から降りて攀じる環境が不便だった、滝谷』おかげで、年々と静かな環境で残されていた課題に取り組む機会に恵まれていた。
前穂高岳『3峰・涸沢側』古典的なル−トの周辺で、毎回の事
ながら、幾つも面白い課題を楽しめていた。
現在ならば『ル−ト』と名が付けば古典的な岩稜でも高性能
クライミング・シュ−ズに履き替えても、誰も奇異の視線を向けないし快適、安全と重量を考えて別に違和感も覚えないようだ。
今なら、こんな重い皮製・登山靴でフリ−の新しい課題に立ち向う
のは無謀と見られてしまいそうだ。
3000mの穂高の稜線では真夏でも、雲が湧き上がり乳白色のガスが数分で、周囲の景観を劇的に変える。湿った大気に、ホ−ルドは不安定になるが、降雨さえなければボルダリングの緊張感は、他のエリアには存在しない充実感と達成感をもたらしてくれる。
1970年代の前半には登山靴と安物・運動靴にEB
が、特別な順位も無くクライミングの現場で使用され
徐々に『EBシュ−ズ』に、代表されるクライミング専用の履物の利用者が増加し出す、前段階の時期だった。
EB−やホ−キンスそして、高性能ラバ−ソ−ルの当時の代表格『フィレ』の、登場時期から穂高でもクライマ−の足元は登山靴の姿を見つけ難くなって来た。
若い友人や後輩達が涸沢のキャンプ・ベ−スに、戻って来なかった『壁』に向うことは無くなった。

苦しく、辛い記憶は徐々に薄れ、悲しさも年月の経過と共に、忘却の恩恵を受けられる年齢とはなったが、それでも忘れられない、悲しさや喪失感の断片が、脳裏から食え失せてくれることは無いようだ。数年前に、一人で徳沢から、奥又へ、岩場から前尾根を経由して、北穂高・滝谷の下部まで、小さな花束と線香だけをビバ−ク・パックと共に担いで、周遊して帰って来た。

気持ちと同じ様に、最終・下山日まで、小雨と濃霧の稜線で、周囲の景色も目前の岩場も視認・出来ないようなコンディションだったが、過去を思い返し瞑想的な思索に浸るには、良かったのかもしれない。2008年、今期は少しだけ夏のスク−ル期間の中で、休暇を取って末端から仲間を偲んで
『滝谷』から、北穂高岳にでも一人で攀じってくるかと考えている。

崩壊が続き、以前の風景もル−トの内容も大きく変貌した、あの岩場に残したピトンも今は消失した
と思われる。残るのは記憶のみ・・・・
『穂高岳・涸沢カ−ルのボルダリングと周辺・稜線上での課題
本当に『先鋭的で過激な挑戦』は、残念な事に私の世代・以前の
先輩達の手により、達成『完成』されていた様に思える。

それでも、自分の時代に充分に満足出来る『挑戦対象』を正確に
把握し、雑誌記事や人の噂話などの余計な雑音に惑わされずに
真剣に、取り組めたのは幸運。
『カ−ルでのボルダリング』の成果は、主稜線での危険な要素を
秘めた、ハイボルダ−で更に、その価値を高めた。
既成ル−トでの『フリ−化・挑戦』の、機会とチャンスは事前の壁
中のリハ−サルやプロテクションの設置などのアン・フェア−な手段
を知らず、使わずに行えた満足いく挑戦体験。
同じ『危険』を、今ならば多分?実践しないだろう。

良い意味で『制御・自制』した限定のあるクライミング挑戦の機会
を得る事は、今は逆に難しい。そういった機会に恵まれた事を最近
は良い時代の中でクライミングを楽しめたと、想い返せる。
装備的に全てが恵まれた『最先端』と、何かが足りなくても熱意
や、情熱、そして『夢』を維持しての挑戦対象に限りが無かった
世界の中での『クライミング』や『先例・見本の無い課題』や挑戦
対象の自らの発見と言う、機会に恵まれていた時代は素晴らしい時間だと思える。

『前例・記録』に左右されない、発想や発見から自分が挑戦する方向や『夢』を、形作れる方が面白いのは当然。

【記録の公開・公表】というのは二次的な満足。
記録の公表が、他のクライマ−との相互理解や公共的な関与だと言われた、良き時代は過去に過ぎたと感じていた。