六甲山・東部『西宮市・目神山・北面ボルダ−&クライミング・エリア』
『目神山の北面に発見・開拓した岩場の情報

         (記録・未発表地)
ビック・ボルダ−『モンスタ−・フレ−クを攀じる舟橋』 1982年
中学2年の頃に上ケ原の自宅近くの田んぼ・の畦道から
見えていたので気軽な気持ちで、自転車で甲山・神呪寺
まで、走って行き山腹の階段から「偵察後」同級生2名を
誘って壁上・壁下を偵察して『石仏・安置』場所の岩場で
ボルダリング的に遊んだのが、このエリアとの出合。

その後、しばらく生活圏で目にしていたがクライミング対象
として、装備を用意して本気でエリア整備・開拓に赴いたの
は、かなりの年数を経てから。

北山公園のボルダリングも、少しクライマ−社会で知られ
せっかく、自宅から最も近い環境に存在する『岩場』なの
だからと、当時・八ケ岳『赤岳鉱泉小屋』に勤めていた友人
の池田つとむ君が、休暇で関西に遊びに来た序でに、毎度
の事ながら、私の提案に乗って貰って最初のル−トに手を
触れてみた。壁の清掃は数日、下部壁に関しては潅木や
コケ・蔦の除去に労力が必要だったが、そういった作業は
地の利を生かして、私が講習企画・以外の平日にセッセッ
と通って、おおまかな整備を行なっておいた。

池田君と遊びに来た頃は、多分81年〜84年?

講習エリアとして、82年には使用していた記憶があったが
この頃の『記録・写真』は他の情報と同じく、震災後の混乱
で消失。参加者に焼き増しした数枚が、利用できそうだが
私の手元には、池田君との写真と他の幾つかのスライドしか
残っていないようだ。
『目神山・最も高い位置にあったビック・ボルダ−・マンモスのピ−クにて、バックは甲山に神呪寺
目神山・北面エリアで最大規模のスケ−ルだった、この岩場も震災時に大きく崩壊・消失した
開拓に着手した時には壁全体が、猛烈な蔦・シダ類に覆われていて、殆ど壁面が確認できないほどの
岩場だったが、密生した蔦類を除去すると意外なほど、すっきりとしたスラブ壁が露出した。
目神山・北側『最西端・下部壁』1998年の春、以降は足を向けていないので、壁として存在するかは疑問。震災時の影響は、比較的・少なかったが住宅地が迫っていた。

『甲山』へ向う、急な上り坂の車道の途中から僅かだが、この北面に位置する岩場を見る事が出来る。
アプロ−チは、意外な程に簡単で『石仏道』の、途中から少し下降すれば岩場上に出る事が出来たが
最近では、岩場への移動に、整備しておいた道も、潅木の中に埋もれてしまったと思われる。
アプロ−チ途中の『ボルダ−』は、かなり風化が進んでいるが、石仏の観賞ハイキングの途中に見る機会が、あるので観察すると時々、白いチョ−クの痕跡も発見できるので、たまに誰かが手を触れに来ているらしい。隣接している『森林公園の中』に、あって『仁川渓谷の岩場』から続けて歩いて来て、利用できていた『ボルダ−』も、往時の面影は消えてしまった。それでも、時たま『駐車場』周辺で、ボルダ−・マットを背負ったカップル等を、見る事が在るので来訪者は僅かだが、いると思われる。
当時の講習・参加者たち6名〜8名で、一部エイド練習のボルト打ちル−トと共に開拓した中央エリア
下部スラブ壁と組み合わせて、隣接する『北山公園のボルダ−』とは、異なる高距のあるクライミング。
この、特徴的なフレ−クも震災で大きく崩壊・岩場自体も消失した。
『目神山のクライミング・エリア』としては、過去に『岩と雪No132』に、住宅地・南側山腹に位置する
比較的、大きな岩場でのトップ・ロ−プ課題の紹介記事が公表された。この『南側の岩場』は北面
よりも更に、西宮市・市内から傍観できる岩場で、171号線から甲陽園へ向う車道からは甲山と共に
くっきり正面に、この岩場を眺められて、かなり古くから阪神圏・特に西宮近辺の登山者・クライマ−が
実際に足を向けて、手を触れていた岩場だ。

巨岩の上は、大テラス状で私の山の仲間の年配のYさん等は、この岩場上で夜景を楽しみながら一杯というスタイルを毎年・冬の恒例行事に、していたぐらいだ。

私も中学2年生の頃に、北側の岩場の探査ついでに、当然ながら、足を踏み入れやすかった「この岩場」
で、クライミングの真似事を楽しんでいて、北面エリアの開拓・整備、以前の1970年代の後半時期にリ−ド
で楽しめるル−トを数本、開拓して・当時の私のレベルではフリ−ソロの課題とは、ならなかった幾つかの
ビック・ボルダ−の終了点に『トップ・ロ−プ』用のボルトを設置した。
彫金作業・用に使っていた『アルファベット刻印』の印を付けた、ボルトを使用していたので少しボルトを見れ
ば、私の痕跡は当時ならば判った筈だ。
記録が公表された時期には、土地所有と山頂範囲の区分も確実に確定していて、無断立ち入り『禁止』の
看板なども設置されていたので、クライミングの場として雑誌類に記事を書いた事には大きな問題があると
個人的には感じた。敢えて、私が『南面も含めて』この丘陵範囲のクライミング対象を『岳人』等で記事として
紹介しなかったのには、周辺の造成地が岩場に迫り、居住する住宅が道路1本を隔てた場所に存在してい
たからで、無用な問題を引き起こすような事は避けるべきだとの判断だった。
『目立ち過ぎる岩場環境』の目神山・南側の『岩場』を、北山公園のボルダ−群と同一に考えている事は
当時としても大きな誤りだったと言える。

当時は、この周辺で不審火?山火事が多発していた頃で、真っ黒になった山腹・斜面は立木が燃え落ちて
下の車道からも、これらの岩場が全て良く、見えていたが最近は周囲に頑丈なフェンスが設置されていて、この20数年、以上の期間は殆どクライマ−も立ち入らず、山火事も起きていないので、木々が生い茂り下草と共に、車道から岩場を確認することは困難な状況。岩場・下の車道横のボルダ−も、今現在は住宅地の造成工事や立ち入り禁止の「柵の中」私が遊びに、来ていた頃の面影は殆ど失われている。

全く、知られる事なく宅地造成で消えていった、幾つかの大岩も名残さえも消えてしまった。
六甲山・東部の『甲山』周辺には、緩やかな丘陵地帯が点在していて、恰好のハイキング・コ−スが、網の目の様に存在していて、震災後からは西宮市の整備事業として更に『自然公園』や、遊歩道が増えている。そういった快適な『ハイキング・コ−ス』を、アプロ−チの先に、、あまり知られる事の無い岩場が点在。
大阪城・築城で使用された大岩の幾つかは、この周辺でも切り出された。その頃の石割痕跡が災いして北側の、この大岩も右側がクラック沿いに、大きく剥離・崩壊してしまった。これも、あの震災時の被害の一つだ。
北山公園の「アドレナリン・カンテ」がボルダリングの対象として、開拓者の手で触れられた同時期に、この目神山・山頂部の大岩にもクライマ−は触れていた。目立つ場所にあり、石仏周回コ−ス途中に存在する事から、かなり古くからクライマ−からは注目されていた。今現在は、殆ど誰もボルダ−の課題として、手を触れに来る者もいない。神呪寺から、あまりにも近くてクライミングを見られるのと、石仏安置・範囲のボルダ−なので、これからもクライマ−は『仮題』として、使用しない方が良いと私は考えている。
信仰の対象としても『寺内山域』更に、自然公園とも隣接する山中の大岩に『チッピング』が・・・・
86年には、基本的にボルダラ−?が、訪れて来ることもなく、この辺りでクライマ−を見るとすれば私と、私の同行者ぐらいだった。『神呪寺』からも、クライマ−が活動していれば、目立ってしまう事が間違いない、この場所で、よりにもよって『石仏』範囲の中の、大岩に明らかな『チッピング痕跡』を見るとは。
以前にも、確かに岩を削ってホ−ルド?加工といった痕跡が、なかったわけで゜は無いが最近のは徐々に大きさが拡大している。手頃で歩く距離も、僅かなのが災いして『チッピング』してまでも遊びたい『ボルダリング愛好家?』が、ここにまで・やって来るようになってしまったのか。石仏・順路を歩いている、地元の人達や寺の方達に、こんな現状が問題視されたら。
『北山公園のボルダ−・エリア』からの、連なりと考えられる最南端が『コシキ岩』だと考えて、北山町の丘陵地帯の北端が『北山ダム/貯水池』の西側に位置する『北部エリア』で、その東部が『目神・南北エリア』そして、最も東端に位置するのが『仏ケ原のボルダ−群』そして、その続きが『仁川渓谷の岩場』だと、考えれば六甲山地の中でも、最もクライミング環境には恵まれたエリアだと考えられる。『北山公園』の、ボルダ−が情報として知られ過ぎている?からか、他の『エリア』は、殆どのクライマ−の話題に上がる事は無いが、女神山エリアと共に北山貯水池の西側に位置する、丘陵(尾根)上に点在する岩場群は、もう少し注目されても良いだろう。私達が最初に目神山でのフリ−クライミングを楽しみ出した82年ごろには、かなり広範囲に活動していた。震災でクライミング対象から外された、幾つかの過去のボルダ−も存在するが、甲山・付近の低山・山並と呼べないほどの丘陵(尾根))には、まだ課題の解決を待つ『大岩』が存在しているので、目先を変えて、少し探査すれば、これらの遊び場所が、復活・???注目される日が来るかも知れない。
80年代の中頃から、殆ど足を向けなくなった『北山・北部エリア』には、震災後に少し懐かしさで尾根付近を訪ねた記憶があったが、最近になって再び課題の解決と共に、昔に探査・残りの岩に手を触れに通っている。
2009年12月17日 混雑しだした甲山の自然公園の近くながら、古い『水行場』付近は、いつも静かで、この行場の『滝』左の尾根は、誰も歩いていないだろうと目神山・北面の岩場の観察にと、あがってみると、尾根には踏み跡は無かったが、尾根を回り込んだ壁下の沢?筋には、しっかりとした踏み跡が残っていて、そこを上流に詰めると、懐かしい、この岩場の取り付き箇所に出る事が出来た。
Friday, 18 December, 2009
Friday, 18 December, 2009
『猪駆除』の為の、調査班が踏み跡を付けていて、この辺りのボルダ−への接近が容易になっていた。
1982年から、存在している事も知っていたが、様々な理由からクライミング対象としては見なかった、幾つかの大岩。住宅地が接近し出し、古い修業道からも近いが、これからもボルダ−やクライミングの場としては使わないほうが良いと考えている。