廣瀬氏が日本人としては初めて、韓国で『ビッグドラゴン』を攀じり帰国した翌年に、当時の完全にカリフォルニア・スタイルで、一新したと伝えられていた韓国での『フリ−・クライミング実情』を、詳しく聞きながら夜は酒盛り、早起き出発の滝谷・屏風岩からテント場に、帰着後は夕食の準備を、居候達に任せて私達はボルダ−へ。

若い連中には、まだ『ボルダリング』を理解している者は殆ど、いない
状態だったので、現在で言うところの『スポッタ−』役を、自ら進んで
行う様な気の利いた仲間は、一人としていなかった。

ブラシがけ、さえも何かインチキを犯しているのでは、無いかと純粋に
考えているような時代だったので、危険な着地箇所にマットを轢くと言う発想は、確かに頭の中では考えてはいたが実効に移しはしなかった。そういった意味では純正・純粋ボルダリング環境ではあった。
北穂高『滝谷』でのクライミングを終えると、毎回のお気に入りボルダリングの場は、縦走路の横に位置する巨岩。この辺りには東稜の
中間部までのボルダ−と、同じ様に無数の『課題』を見つけてあった。

落ちると確実に、致命傷・下山するしか助からない環境ではあった
かなり危険率の高い、遊び方なので当時の写真・記録は少ない。
まあ、例え写していたとしても当時の『記録・写真』の、殆どを消失して
いる身なので、もっと写しておけば良かったと思わなくて済むが。
現在では、より安全に、そして安心した環境下で『フリ−クライミング/ボルダリング』を、楽しむ為にクライマ−の背後で、墜落時のダメ−ジを軽減さす目的で補助的に、安全確保に携わる役目のクライマ−を待機させることが一般的となっている。
製作途中