『アルプスY級ル−ト・クライミング』
その進展と軌跡。Z級・神話への挑戦
ヨ−ロッパ・アルプスと高山を取り巻く岩壁を舞台として近代
から本格的な『クライミング』は、純粋なフリ−クライミングと
人工的な手段を容認しての、より困難な課題の解決といった
今・現在のクライミング世界と、似通った見解の相違や目的に
対する態度やスタイルの選択が、歴史的に進展して行った
時代の流れを、それぞれの岩場に残している。

『ヨ−ロッパに、おける今日のアルパィン・スポ−ツ』や取り巻く
自然環境とクライマ−の歴史・記事。そういった興味を惹かれ
示唆に富んだ内容を注視してしまう『Bergsteiger』や東欧圏
を含めた、各国のアルパィン系も充分に理解したクライミング
雑誌には、日本の断片・一方向性に偏った『専門誌』とは、少し
異なる、より学術的?クライミングの歴史を学べる記事・内容
が豊富で、デシマル・グレ−ドに算盤検定や武道形式の段位
序列をボルダ−のグレ−ディングとして採用し、使用する者も
多くて、過去を知らなくても『遊べる』クライマ−には不要な情報
を知る機会も無くなった。

それでもクライミングが、かってはY級・神話を越えてZ級の
世界に向かい出した頃の話や、更に古いクライミングの歴史の
中で世界で初めて『スポ−ツ意識』でW級クライミングが達成
された場所やクライマ−の横顔を知るのは面白い。
クライミングの「歴史」を、読み解く鍵となる一つの方法に単純
に、その時代の最も困難だと評価を受けた『クライミング・ル−ト』
の難易度・評価(グレ−ド)を比較すると言う方法が、選ばれて
いて、当然・欧州圏でのグレ−ドはUIAAグレ−ド体系と、その
基準となった過去からの継承されて来たグレ−ド・システムとなる

『第Z級』を初めて、提唱し実践活動で後の、本格的なクライミング
・クライマ−にグレ−ドの上限の開放を示唆したメスナ−と対比
されるのは、Z級を認めなかった期間が長く、メスナ−と対立して
いたと言われるディ−トリッヒ・ハッセだが、近年に入ってさえ・この
グレ−ド・システムに関しての論争は各国・共に統一的な一致は
中々に困難だ。

世界初のV級+ル−トは、スイスの『マッタ−ホルン・リオン山稜』
で、フランス側の『ヘルンリ稜』からの有名な初登頂から3日後だと
言われているが『V級プラス』のグレ−ド評価を受けない初登
ル−トと言われると『ヘルンリ稜』は、代表的なV級ル−トの評価
となるのかと思うと、個人的には釈然としない部分もある。
『Bergsteiger』の『ヨ−ロッパに、おける今日のアルパィン・スポ−ツ』記事からは、W級ル−トの契機となったクライミングとして、『オルトラ−南稜』が評価されていて、アルプスに、おけるクライミングそのものを目的としたクライミング=スポ−ツ登山の始まりだと評価されている。記録を調べると1875年、英国でのクライミングが当時、同じレベルであったと彼らは主張していて、その頃の日本では山岳は宗教と物資調達の場でしかなかった頃だ。同じく、かの有名な日本人クライマ−にも想い出を持つ人達も多い『グレポン北稜のママリ−・クラック』がW級ル−トとしての評価が高い。しかし、より困難度の高いのは『フェネッツ・クラック』であり、ママリ−・クラックと、同一人物が初登『スイス人ガイドのB・フェネッツ』1881年。

最初のX級ル−トは「ソロ・単独」で実践された。イタリアのドロミテ山群バヨレット・ツルム周辺で当時、最後まで挑戦を退けていたと言われる『特徴的な岩塔』を、『ヘルマン・デラゴ』が、満足な確保手段も講じずに単独で初登。この岩塔は『デラゴツルム』と命名され、19世紀に達成された最高難度の冒険的なクライミングとして、高い、評価を今も受けている。当時の「クライミングと山」で使えたであろう装備・用具に前例の無い困難への挑戦を考えれば、現在のクライミングは、はたして全て冒険と呼べるか疑問だ。

19世紀・後半期の英国クライマ−が当時、どのレベルまで欧州圏(フランス・ドイツ・オ−ストリア・イタリア)各国のクライマ−の技術的レベルまで迫っていたかは、かなり曖昧。間違っても誇り高きユニオン・ジヤックを掲げるブリテン・クライマ−がX級を達成していなかったとは認めない。しかしスコテイッシュ・クライマ−ならば多分同程度の冒険を達成していたのでは、ないだろうか?

一般的には貴族趣味・範囲と、スポ−ツ・クライミングの領域が判然としなかった歴史期間から判断されてか英国人がY級ル−トを登れる様に、なったのは第2次大戦後。X級レベルも20世紀に入ってからだと、いつの時代にも、反目するフランス人クライマ−は公言するだろう。

しかし、個人的な感想としても19世紀にドロミテの荒々しい自然環境と、巨大な岩場群の中で若干20歳の
経験も少なかったであろうクライマ−が、当時の装備で単独でのクライミングで、当時・最難X級の課題を達成している事は、驚異的だと思えて仕方ない。

X級〜X級プラスの領域は、ドロミテ・ドレスデン・アルプス高山を取り巻く、前衛峰・周辺の岩場で達成され
Y級ル−トへと、加速度的に進展していったと考えられる。

1912年の『ホッホコ−ゲル西壁』は、フリ−クライミングとアルピニズムの区分・領域を別け始めた時期に当り
同時期に同じく、初登された『カティナ−チヨ西壁』がクライミングに前進手段としての用具の使用を、容認。
積極的に困難な課題の解決・突破に用具を使った『ハンス・デルファ−』により、単独で開かれたことは示唆的な出来事であったのかも知れない。

X級プラスの世界的に見て、当時の最高レベルでのソロ・クライミング。

クライミングの純粋性(フリ−クライミング)と、高山領域でのクライミングや高みを目指す登山。この似通ってはいるが、スタイル・モラル面で双方の、妥協が非常に困難な論争期、現代の『何でもあり派』とは、本質的に意識やロマンが違うのかも、スポ−ツ・クライミングにも、本質的な生命・命を賭ける追求・純粋派『パウロ・プロイス』と前進の為には、人工的・登攀容認派の『ピアツ』『デルファ−』『ヘルツォ−ク』の、果てしなき論争が、有名。

継承派の代表格は『ワルテル・ボナッティ−』や『メスナ−』この辺りの人名が登場すると少しは、興味を持ち出す人も出て来るでしょう。

『ダグスコット』著書の『ビッグウォ−ル・クライミング』程度の書籍にしか、この辺りの詳しい歴史解説が登場しない日本の普及・山岳関係『図書』の現状では、Y級プラス〜Z級・範囲の近代のクライミング情報でさえも
今はもう『5・11・デシマルの世界』の前に、消えてしまいそうだ。
                     
アメリカ『欧州系クライミングの継承から、独自のクライミング・スタイルへの発展』
クライミングの発展・そして、冒険からスポ−ツ的な遊びとしての『クライミングの歴史』は欧州アルプスと高山を取り巻く、前衛峰や更に標高の低いエリアや海岸付近の岩場までを範囲として、時代と共に進化していった。山頂を目指す『冒険や学術・目的』の行為・活動から、より困難度の高い課題・目標への挑戦に夢を見出したクライマ−は技術的な進歩と、使用する装備や用具の飛躍的な進歩・発達に、自身の工夫や発想を加えながら徐々に、より厳しく・かつ達成感の深く、大きい高みを目指して行った。

『ザクセンのスイス』と称される(旧・東ドイツ)の南東部、古都ドレスデンから遠からぬ場所こそが『エルベの砂岩塔』としても、著名な『フリ−・クライミングの伝説の場』がある。

(旧・チェコ)との、国境にも近く東欧圏の登山・ケ−ビング・フリ−クライミングの情報が、詳しくは知られていなかった時代には、日本では『ザクセン』『エルベ川』『ボヘミア』の詩情豊かで、中世古典の歴史の連想から『(旧)チェコの丘陵地帯の岩場』と、誤解した情報を良く目にした。

実際にはヨ−ロッパ諸国の中でも、北欧圏を除けば20世紀・後半に入っても豊かな自然が残る『美しい地域』として、憧れを持って知られている。ボヘミア山地に源を発して、北海へと注ぐ『エルベ川』が、ハンブルグを経て蛇行を繰り返した中に『岩場』が、存在していることから『エルベの砂岩地帯・岩塔エリア』の名も古くから、知られている場所だ。

19世紀・後半には本格的な、砂岩の岩場で『フリ−クライミング』が活発に行われていた。
1864年には、正統的なスタイルを順守した『ザクセン流儀』の、フリ−クライミングが始まっていたと伝えられ、当時の世界水準から考えても、そのクライミングの質は高かったと思われる。

どの時代でも『クライミング』は、本質的にインタ−・ナショナルで国籍や政治体制の違いを、馬鹿な遊びに
命まで、傾けて情熱を岩に向けるクライマ−には、あまり関係しない。そういった過去の記録や情報が、今現在の我々には、詳しく知る術の無い『伝説的』な、クライマ−の話題は面白く興味を引き付けてしまう。