京都の「東寺・弘法さん日に、骨董屋台』を広げていた時期が、私にはあって。
その頃には、恐い親父さん達に取り囲まれて、私の定位置は参道横の『東寺高校・前』の敷石端
で、大人しく西洋骨董などを、細々と商いしていた。古物行商・取扱資格も所持していた頃で、警察
からの「観察・確認」に当時、住んでいたボロ家まで警察官が単車に乗って定期的に、訪れる環境
だった。今で言う『フリ−タ−』の、たぶん?元祖のようなフルタイム・山屋だったので、この古物商
屋台で各地を廻るような、職業・業種も、私の経歴の中の一つなのだが、意外と稼ぎと時間比率は良
くて、数年間は特定の物品に関しては実地勉強も真面目に、そして真剣に続けていた。

この業種の中で、面白かったのは一般のアンティ−ク好きの人達の中には、意外と登山・山好きの
人が多い事で、販売・商品としての古物範囲に『ピッケルやワカン』戦時中の飯盒に代表される器材
望遠鏡や地図を計る、器具類も含めて多種類の『物』が、屋台の隅かしこに鎮座していた事だ。
特に、外国製の昭和初期に入荷していた『ピッケル』や、当時は確かトンキンと呼ばれていた洋竹
使用の長いストックは人気があった。私も何本か、そのストックや木板スキ−を購入しておいたし
ベントの刻印が錆に隠れていたピッケルにも、興味を惹かれて購入しておいた。
中学3年の冬に、ピックが折れた『スイス・メ−ド』の、今から見れば本物の杖の様な「ピッケル」を
僅かな縁で、自宅から近かった『仁川渓谷の岩場』で偶然に知り合った初老の男性からの好意で
確か、宝塚まで自転車に乗って後日・頂戴しに伺ってスイスの山々の写真と本当に当時は珍しか
った本式のケ−キ等も、御馳走になり手に入れた。

数年後、高校でのバイト代も少し溜まり、御好意に僅かでもの返礼をと、お伺いした時には、御家族
共々に、ご本人も郷里に引っ越されたとかで、連絡も取れぬまま・お礼も適わずに今に至る。

何故、子供に「ピッケル」を譲られたのかも謎だが、中学生が見た海外の山々の『写真』の刺激は
強烈だった、それが諸端という訳ではなかったが、ピッケルを手に入れた翌年には生まれて初めて
の自分の『新品ピッケル』を、再び譲り受ける幸運に恵まれた。

当時、関西・初開店だった大阪・梅田のIBS石井スポ−ツに開店の翌日に立ち寄った私が、ずうずうしくも直接にアルバイトを申し込んだ方が、偶然にも社長・御本人で、翌日から本格的な『山の店』で、働ける絶好のチャンスを得られてその社長からの、御好意で、これも偶然ながら『スイス・メ−ドのウイリッシュ−』の本式ピッケルを1本・頂戴した。まだアルバイト代で、この種類の冬山用・装備や用具を全て揃える事は、とても適わなかった状況・時期だったので、この時の・うれしさは格別な記憶だ。
16歳・穂高岳『槍ヶ岳・北鎌尾根』とても、印象的で強烈な体験
貰い物の高価な『ウイリッシュ』は、使えなかった。ストレ−ト・ピックで杖のような長さの国際ピッケルを使用
ビバ−ク地の硬い雪面を掘り起こし、硬雪を刻み稜線からの、下降では頼りになった。
『グレッチャ−』と言う商品名だったと記憶しているが、この想い出の多く残っていたアックスも人に貸して、返却されず、コレクションとして残ってはいない。
『穂高』と『富士山』で3本の、ピッケル(アイス・アックス)のシャフトを折っている。2本は遭難者の救助・活動中の使用での破損で、そのうちの1本は当時としては、最先端と言われていた『グラス・ファィバ−製シャフト』の物だ。もう、1本は、かなりアンティ−ク物で、シャフトとヘッド部の接合部が傷んでいての破損。
個人的な趣味の領域で、『小引き出し・古箪笥』『古時計』『英国製・銀製品やコイン類』は、市への鑑札を
所有していた短い時期には、少しコレクションを楽しんでいた。同じく、趣味範囲で、余裕のある時に入手していた、今ならば、かなり高価になっているだろう欧州物のアンティ−ク範囲の、登山用具や測量器具は、クライミング貧乏の時期に、仕方なく手離していったので、今現在は木製のシャフトが懐かしい『アックスやハンマ−』類に、初期の『アイス・バイル』の所持品も僅かな数になってしまった。
20歳代から40歳への、通過時期に次ぎの山行、クライミングの為に所持品の売却が続いていた。
中学2年 縁あって『スイス・メイド』のシャフト長さ80cmのピック形状がストレ−トな名品を譲り受ける
中学3年 友人達と自動車・修理工場の片隅で、スチ−ル板を改造・加工して数本製作・全く実用には
耐えられず、当時の関西大学「探検部」の人とマニラ麻ロ−プと交換。
高校1年 IBS社長『石井満・氏』より、スイス『ウイリッシュ』を1本、頂戴する。
同年、アルバイト代にて国産『グレッチャ−』を購入
高校2年 『インタ−・アルプ』製品のウッド・シャフト1本を格安にて購入・使用
高校3年 『シャルレ製品』を、縁が生まれたクライマ−から譲り受ける
同年、冬に本格的なクライミング用として『シモン製品』を購入。60cm
18歳 スコットランド・フォ−トウイリアムスのシヨップで『ペック』の世界初と言われているテロダクティル
タイプのアックスを購入。45cm 残念な事に翌年も、購入地の山で使う機会を得られず渡欧時
のアルプスにて使用するのみ。
20代 @ 当時・大流行した『赤い金属シャフトのドメゾン・モデル』を使用し始める
A 同一メ−カ−の改良タイプを使用し始める。ピック・カ−ブとシャフトに改良が加えられた物
B シモンの『セキネル・モデル720タイプ』を購入して、長期間・愛用していた。
C シュィナ−ド/トム・フロスト(デザィン)アイス・クライミング用として2本目を使用。
   シャフトはウッド。
D 『グリベル』衝動買いの珍品・アックスの語源のような物
E 『国産エバ−ニュ−製品』これも、何かの縁だろうと感じる入手経緯
F シヨップからの試供品として2本の国産品を使い始める
『後輩の遺品とし』御家族から「シモン」の55cmのアックスを譲り受ける
先輩ガイドの長谷川氏より1本・非常に高価なアックスを頂戴する、同時期に頂戴した
当時・日本国内では珍しかった『アメリカ・フォレスト社製のシステム・ハンマ−』は冬季講習
で、参加者に貸し出して「藤内壁・中尾根」周辺で紛失されてしまった。申し訳ないと思っている
30代 @ 82年の渡欧時に『シャルレ製品』を1本、購入
A 86年の渡欧時に『古典・骨董タイプ』を、グリンデルワルドにて1本、購入。
   シャモニ−にて『モンブラン登頂200記念モデル』を土産要に数本、購入。
   1本は鈴鹿『藤内小屋』に進呈。
B 『ロ−アルパィン・システム製品』のメタル・シャフト&チュ−ブ・ピック・モデルを使用
C 渡欧時に購入した『シモン・ゲパ−ル』を国内外で使用。後に八ケ岳『峰の松目沢』での
   アイス・クライミング時に、ピックを破損。
   スク−ル・レンタル専用品として『アルペリット製品』を2本・購入。
D 穂高岳・夏期間に持ち上げていた『サレワ社・グラスファイバ−・シャフト』モデルを北尾根
   での事故者・救出活動中の雪渓にて、支点利用で打ち込み時にシャフト破損。
   シャフト途中から、完全に折れて最悪の状況下で涸沢へ無事に到着。救出者・回復。
E 『八ケ岳・冬季のガイド活動』が毎冬の定例活動となり、ほぼ毎冬・新製品を購入。
   アイスクライミング専用として、12本のアックス・アイスバイルを新規購入後に売却。
F 国産『カジタ製品』アイス・バイルを順次、買い換えながら初期モデルから使用
   2007年・現在でシャフトのみで5種類・所有。ピック類は初期からセミ・チュ−ブを多用
G 最も、長期間・継続して使用していた『シャルレ・ボワバン・モデル』2本
H 『シモン・シヤッカル』3本/1本は紛失
I 『シャルレ・プロト・タイプ』日本・未入荷モデル1本「サブ・バイル」使用
J 『友人の里帰り時』に購入を依頼した『スチュバイ・システム・モデル』1本
K 『国産ミゾ−製品』3種3本を使用。
L 『カンプ製品』新化系モデルを3種4本を継続的に使用。
M 『DMMプレデタ−』2本を使用。
40代 @ スク−ル・レンタル装備として3本・購入。
A 『グリベル製品』3種3本を使用。1本はサブ・バイル利用品

B チタン製『ミゾ−銀河』このタイプは輸入先からのチタン材・不足の影響から2005年あたり
   からシャフトは、クロモリが使われている。
穂高で懇意に付き合っていた若い友人の遺品として御家族から1本のアックスを譲られたが
私よりも、そのアックスの持ち主として適任の、友人に了解を得て譲る。
『カジタ』の縦走向きメタル・シャフト1本・講習生から譲り受ける
国際交流で縁が生まれたインドネシアの若い友人に『シヤッカル』1本をプレゼントする

友人から『記念品』として、好みのタイプを1本プレゼントしてもらった。
51歳 『シモン』カ−ビング・コンセプト・シャフト採用の最新モデルを1本・購入。
アックス・ブレ−ドを外し、別売インサ−ト・プレ−ト使用でピックのみで愛用。

『グリベル・モンスタ−』ドライ・トレ−ニング専用ギアとして2本、購入。
『グリベル・レ−シング』ドライ・リ−シュレス専用ギアとして1本、購入。
52歳 『ペッツル・ノミックス』2本、購入「現在・使用中」
53歳 『ミゾ−・銀河』『流星』アックスとして、数年前に『銀河』を購入していたが、今回の購入品は
少し、シャフト部を短いタイプを選んだ。バイル使用の『流星』は50cmタイプを選択。
58歳 56歳〜ペッル製品2種とブラックダイヤモンド2種の『アックス』計4本を継続的に使用
シモン『アナコンダ』の替えピックを交換し継続使用。ペッル『ノミック』新規2本を購入
22歳・真砂をベ−スに英国で知り合った「金沢大学の学生」と源次郎・雪渓でトレ−ニング時に、いかにも・と言ういでたちの山岳会メンバ−6人から、注意を受けた。丁度・雪渓と岩場の境目での『確保支点』を、設置しようと当時・私が所有していたウイリッシュの穴あきピッケル(アイス・アックス)をロック・ハンマ−でガンガン、ピッケルの頭を叩き込んでいた最中の、出来事で。『山屋の魂』云々との注意だったと、記憶しているが、面倒な問答や反論は、せずに・確か・・・その場は何事も無く彼らとのコミュニケ−ションの想いも何も無い。
何か、僅かに反論したようにも思うが、何分・古い話しなので記憶は曖昧だ。

『ピッケル』は、確かに当時は価格的にも安くもなかったし、若造が高価なスイス・メ−ドのピッケルを雑に扱っていると見られたのかも知れない・・・しかし、当時から私にとっては『用具・装備』は、価格が高くとも入手が困難でコレクタ−範囲での、希少価値が判断できたとしても『仲間の確保=命を守る』目的に比較できない。
少々、ピッケルの頭が打撃で、変形しようと美しい曲線に傷が入っても、そんな事は仲間や相棒の『確保の重要性』と、比べて何か支障や問題があるのか?『道具・用具』は、必要な箇所で有効に使ってこそ意味がある。
ICE AXE/ピッケル
シャフトが『軽金属』に移行し出した頃。それまでのウッド(木製)シャフトがメタル(金属)へと、移り出した頃にはシャフトに塗装された、赤色がヨ−ロッパのクライマ−には『雷避け』として使用?されている等の「まゆつば」もの、の広告まで信用していた『素直な登山者』が、日本には実在していた。
笑える話ではあるが『広告の危険性』と、消費者としての常識が時として『登山やクライミング』では通じない
という「笑うに、笑えない」現実として考えれば、問題は大きかった。

『ファイバ−グラス』のシャフトが出回り始めた頃にも、全く同じ様な問題が発生していた。
技術革新・新しい『技術と用具』は車輪の両輪に例えられるが、資本主義・社会では、どこにでも落とし穴的な問題や、消費者の命さえもが『危険』に、さらされる問題は消滅できない。
車のリコ−ル隠しから、温水器まで製造・企業は営利追求の為には『消費者の生命』までも、犠牲にするのは、最近では中学生でも理解し出している。山の世界や、クライミングだけが別格で『夢の世界』で、あるはずは無くて、過去から騙されて来た登山者やクライマ−は多い。
80年代に、購入・使用していた『シモン社・製品』では、初期の『シヤッカル・バイル』の鍛造製セミ・チュ−ブが頻繁に、折れた。同じ時期の同社のアイス・アックス類のピックも3本のピックを曲げてしまった。
(下・左側シャルレ製品)使用頻度が高かった、愛用品でヘッド部に自己融着テ−プを巻いて、金属部からの手の冷えを防いで使用していた。丈夫で、トラブルの少ない信頼度の高い『アイス・アックス』
81年頃にガイド業務の依頼で渡欧して、現地で試作品タイプの『シモン・ゲパ−ル』を購入。これを長く
愛用していたが、峰の松目沢・上部でピックが突然、折れてしまった。曲がる事は、あるが滅多にシモン製品のアックス・ピックが折れることは無かったので、驚き。この頃から、市販品のピック類の破損が多発し出したような気がする、特に『シヤッカル・替えチュ−ブ』とか、国産品の極薄ピックなど。仲間の多くも、自身の手による改造品での破損が多発していた。

(下・右側シモン製品)簡単にピック部分が、大きく変形(曲がる)アイス・クライミング現場で曲がった為
非常に苦労した、想い出が甦る。修理・修復は不能
世界的に見ても非常に優れたチタン製アイス・アックスとして評価は高い『ミゾ−・オリジナル』
使う事も、なくなって倉庫に保管している各種メ−カ−の古いタイプのアイス・アックスの一部
長野や東北の、友人達の家に置いて来て凍った水道管や車道を掘り起こすのに、便利に使っていると言う、古いアックス類が、数本ある。シモンの702の様な初期にアイス・クライミングや冬季のクライミングで愛用していた名品も数本、含まれているが、あまり惜しいと言う気持ちは持っていない。
倉庫で、埃を被って何も使わずに放置されているよりも『道具』として、役立っている方が好ましい。

カジタの中古品やグリベルのバ−ゲン特価品は、若い仲間達や講習・参加者に譲った。
最近では、製造も販売もされていないグリベルのレキシロン・シャフトのアックス4本は、1本は残っているが後の3本は、どこにあるのかも判らない。
2009年 現在・使用継続中〜2013年・情報追加
1970年代の『アイスクライミング練習』では、夏の雪渓が重要な場所だった。アックス類は木製シャフトの65cmで、先鋭的なカ−ブ・ピックに移行する以前の『ノ−マル・カ−ブ』アイス・ハンマ−の性能も支持力が弱かった。最近では、規模の大きなシュルントも見なくなったが、以前には手頃な箇所が使えた。
激しい揺れで完全に変形してしまいコングリ−ト枠に、いがんで開閉が不可能となった鉄製ドアを無理やりコジ開けるのにも『愛用アックス』を使用せざるを得なかった、あの冬の朝。勿体無いという気は起きなかった。電柱の下敷きで完全に、破壊された車から、緊急用の装備を取り出すためにも、アックス・バイルを使用したし、仮の逃げ場所「テント設営」で、活躍してくれたのも愛用アックス。
『シモン・ゲパ−ル』に『シモン・シヤッカル』と、アイゼンは『14本爪のY・セニョ−ル・モデル』スパッツは『トモミツ特製品』長く、居候させてもらっていた乗鞍山麓の先輩宅から、ほど近い『番所大滝』が、スキ−シ−ズンには遊び場所の一つだった。
2012年〜2013年 『現在、愛用中のアックス4本』
2014年2月12日