『ビバ−ク対応バ−ナ−(小型コンロ)類』
1960年〜70年代の冬の壁でのビバ−クの記憶は、快適と言う言葉には、ほど遠い。私達のビバ−ク体験の記憶の原点は固形アルコ−ル類『メタやエスビット』等の、刺激臭と小さく弱く、強風時に消え失せてしまう、か弱く心細い炎で沸かした、温い飲み物や半煮えのラ−メンや、堅いアルファ−米だ。
ゴ−ゴ−と、頼りになるガソリン・コンロの強力な火力は実際の
冬季クライミングも80年代に、分離タイプの製品やブレ−ヒ−ト
不要の最新タイプのコンロ類が、使えるようになってからの事だ
そういった時代の唯一の、協力・武器はマルキルの風防兼用
コッヘルとガスコンロが一体となった『ビバ−ク・クッカ−』だろう
当時のガス・カ−トリッジには、寒冷地・仕様など無かった。
ヤッケの胸ポケットに収まるほど、小型のカップ・タイプの『メタ・クッカ−』を最初に使ったのが高校生の頃で、それから幾つもの『メタ・クッカ−』と称される、小さなクッカ−を購入しては使って来た。今は、当時のクッカ−類は一つとして手元には残っていない。少しづつ、割っては小さな燃焼板の上で燃やして雪を溶かした、あの小さな道具の想い出は、懐かしい。手袋に付着したメタの粉が、目に付くと痛い・・・そして内面がビッシリと霜で覆われたツエルト内部での、あの刺激臭は毒ガス並みの苦しさで・・・・・共通体験の話題で楽しめる仲間は、とても少なくなって来た。
重量的には、とても不利だったが『スベア123』や、小型のトラング形状の『オプティマス8R』とかに変えて、プレ−ヒ−トのメタ不要で、火力が抜群だった『GI』を冬の壁に持ち上げたのは、それまでにコンロの不調やトラブルで、とても悔しい思いを経験していたからで、『予備メタ』や緊急時・対応の『アルコ−ル・バ−ナ−』も肩に食い込む重量上の厳しさだった。『MSR』を使えるまでの20年間は、コンロ(火器)には、毎回と言えるほど頭を悩ませた物だ。(上・写真)屏風岩・東壁2日目・バッカス・バンドの雪洞で使用していた『GI』も、5日目の稜線でゴネダシテ、稜線では苦労して最終・予備メタしか役立てなかったが、貧乏な頃なので使えなくなった重いコンロも背負って街まで、持ち帰った。きっと今なら、デポして、夏に回収に戻るだろうが岩場に残して来たことだろう。
やはり『メタ』は、予備に持つべき『ライタ−』と、共に必要とする種類の緊急・対応品だ。
まだ『海外通販』が、ごく一部の人にしか興味をもたれていなかった頃に関学『探検部』の竹内君・達と面白がってグル−プ研究し出して、アメリカから各種ギアをかい出した頃に購入した『ヒ−ト・エクスチェンジャ−』燃焼効率・向上部品は、まだ今でも愛用備品としてMSR純正クッカ−に組み合わせて、使用している。
初期のフランス製『キャンピング・ガス』のコンロ類と小型クッカ−の
組み合わせで、熱効率の向上や防風対策の具体的な知識を教えてくれたのは、故・長谷川恒夫ガイドで、欧州アルプスでの厳冬期クライミングの実践から、その種の既製品に不満を持っていた部分を改造・改良していた。
それらの中で、国内での冬季クライミングでも有効な幾つもの技術
を直接、教えて貰えた。当時の雑誌・情報にもビバ−ク関連の用具に関して、幾つも著述は見ていたが、具体的な部分で知りたかった事は、本人に細部も聞けたのは幸いだった。

コンロ類の改造では、ミルク缶に少し手を加えた防風対策カバ−
や、同じ様な簡易型の分離タイプのクッカ−を、厳しいビバ−ク環境でも、使えるように工夫した用具などは、後々も役立たせて頂いた。その頃に、教えを受けた改造という発想は、その後に他の登攀装備にも、自分なりに手を加えると言う意識へと繋がっている。

ツエルとハンモックの合体タイプの様な、ビバ−ク装備も当時として
今から、見れば本当にユニ−クで他に類似品が存在していなかった事から思えば、発想の素晴らしさも感じる。
そういったビバ−ク装備の中で、空中に、ぶら下げて使えるガスコンロとクッカ−の一体式システムも個性的な用具だった。