1968年に『コニカのC35』を、山関係で知り合った方から格安で譲り受けたのが、私が自分の『写真機』を手に入れた最初の記憶だ。当時の、市場価格は『1万4000円』ぐらいだったか?とても、貧乏な学生にはクライミング・ギアと山道具に、加えて購入できる金額ではなかった。特に、貯金が急務・必要な者には・・・
次が、『オリンパスXA』レンズ・バリヤ−が、クライミングで使えるのではと考えて購入した記憶がある。

最初の『写真機』から、20代の山行とクライミングで数台は壊した。クライミング中の『写真』は、多分?同時期の他のクライマ−と比較すれば、10倍・以上は写していると思う。10代の頃の、クライミング写真は僅かだから、ガイドを担当した場合は、可能な限りの枚数を、私は写す、その努力は他者に負ける気はしない。
『カメラ』は、単に風景を写したり、山々の美しさを撮るだけの機械ではなくて、私には貴重な何か、情熱の場を記録する為の手段の様に感じていた。『記録』としての部分は、岩場のル−トの確認や、可能性の発見に主眼が置かれていた、スケッチと共に真面目に勉強しておこうと本気で、考え出したのも穂高に入り出してからだった。山で、過ごす日数と活動の場が、クライミングの場であったので、ザックに入れていたのでは好みの現場の記録は写せないし、すぐに使える速写性能とコンパクトさを私は求めていた。購入できる価格範囲は、かなり限定されていたが、中古品や人から格安で譲ってもらう等の方法は駆使していた。