Harnesses
『クライミング・ロ−プ』を、もやい結びで身体に巻いて登っていた頃には、トップの墜落は致命的なダメ−ジを受ける事態に、直結していたので基本的に『リ−ド・クライマ-』として、先頭に立って岩場を登るクライマ-には『クライミング行為』での、失敗は危険かつ直接、命に関わる重大事として、暗黙ながらも重大な約束事が存在していた。既成ル−トでの、他の誰かが登った事がある、事前に『危険と困難度』の計れて、自身の技量と体力そして、その『ル−ト』に、立向かうだけの意欲や勇気を予め充分な時間を、かけて再確認する事が必要であり、決定後の途中・敗退も装備が不完全なクライマ−や一つのチ−ムでは、表面上は他のクライマ−からの、軽蔑的な視線は受けない。

『ル−トの完登が第一義的な目標』であり、その完登を達成する為の、過程での『スタイルやモラル』に関しては、ピトンの打ち足しや、エイドの使用も広く容認されている、風潮を感じていた。
1960年代までに、そういった『クライミング』は、危険ゆえに、その『危険の回避』の為のスタイル面での、様々な容認・クライマ−間の了解事項は精神的な部分に関して、当時の世界のクライミングが向き始めていた、新化や発展とは逆行する方向性で、クライミングを楽しむ人の数量的な増加のみが、発展していた後に、その弊害は、クライマ−自身の活動の舞台を縮小させ、挑戦対象たる『岩場』に、無秩序な『エイド・ミックスのクライミング・ル−ト』のみを、大量に生み出す結果を導いてしまった。

『A0/W級ル−ト』の、増加は『クライミング本来の危険性と困難の追及』を、クライマ−自身が放棄した結果、生み出された結果であって、それぞれ残された『ル−ト』が、全て無意味と言う訳ではない。

1970年代に入り、単純な『胸部式ハ−ネス』の使用から、体重を腰・臀部に安定して、かつ充分な安定した姿勢で預ける事が可能となった『シット・ハ−ネス』の使用から、主に『エイド・クライミング』は誰にでも、簡単に行なえるクライミング形態となって、更に日本式クライミングのスタイルは基本・原点たる『フリ−クライミング』での困難性の追及や挑戦から遠のいてしまった時期を迎えてしまった。
座れる・安定した姿勢を長時間・保つ事が出来る『シット・ハ−ネス』と、軽く使い易い『アブミ』のステップ数が増えて、非力で未熟なクライマ−でも残置された『ボルトやピトン』の、上で腕力を浪費せずに止まっていられる『フィフィ』等の『用具使用』が、容認されて広く普及したので、更に『エイド・ミックスのル−ト』を楽しめる、クライマ−の数は簡単に増加してしまった。

70年代から、80年代の前半までに海外からの刺激を受け。ヨセミテからの『フリ−クライミング』の新化・発展に啓蒙、触発されたクライマ−以外は、こと国内での活動範囲を広げる事は事実上、諦めていた感があったようだ。主要な『岩壁』には、先人・先輩達が拓いた『ル−ト』が、そろそろ壁中で重複し出し、それでなくても『重箱の隅』を、云々と言われ出した時代に、以前ならば『危険』の尺度が違っていた筈の範囲に、真剣に向き合う姿勢を国内で発揮し、実践的な活動を行なえていたのは、非常に少数のクライマ−のみだったのが実情。『勝てば官軍タイプ』の、ル−ト攻略の一義的な、目的は『完登のタイトル』であって、そのクライミングの質は基本的に、大きな評価の対象とはならなかった。
『トロ−ル社のウィランス・モデル』の次ぎの、フリ−クライミング向きの『シットハ−ネス』はフランスから。
同時期に多数のモデルが誕生しては、市販品から消えていった。基本タイプのレッグル−プ・ウエストをタイイン・ル−プで接合させるモデルは、80年代から欧州規格品が増加して行き、徐々に米国製品も、その市場に参入・増加していく。
2013年2月から、このタイプのシットハ−ネスを使用中
かなりの数のハ−ネスを使って来ている。多分、ガイド業務使用のシ−ズン・ジャンル別の各種シットハ−ネスだけでも30数種類の様々な『シットハ−ネス』を使って来た。一度、各種情報を含めて整理しようと思っています。