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| 多くのクライマ−の目に曝されない『岩場』なので、とにかくヒドイ蛮行・破壊行為が行われているが、その現状を知る者は少ない。『武庫川のオベリスク』と呼ばれる岩場 |
| 武庫川を眼下に南側『フェ−ス』でのフリ−化 |
| 『堡塁岩』で、そして『不動岩』でも、そして『ム−ン・ライト』でも横行して、歯止めさえ効かないと半ば絶望的な気分を味わっていた、岩場・ル−トでの『チッピング・岩場の破壊行為』は、最近出来『北山公園』にも及んで、暗澹たる気分を味わっていたが、『オベリスク』にも、その被害は大きい。非常にマイナ−な岩場で、この岩場自体の存在を詳しく、知っている登山者やクライマ−も少ないのと、実際に、この岩場に来たクライマ−も非常に少ないので、関西で、これほどヒドク・チッピングが行われている場が存在している事態を、知るクライマ−も少ない。卑怯にも岩場の裏側に位置する『影の部分』で、行われている破壊行為なので、益々・表面化しない。 私達が70年代に岩場の存在を、大阪のクライマ−から教えられて下流から武庫川沿いに、岩場探査で訪れた頃には、中流範囲・左岸(上流に向って右側)に点在する岩場・取り付きには、開拓者の残したと思われる『メモリアル・プレト』等を目にしていた。武田尾・温泉、下流に位置する鉄橋付近の岩場群にも、アプロ−チ利用と見受けられる踏み跡や、岩場下に残された錆びた瓶入り飲料のゴミ等も散見された。 戦後、社会が貧困や食糧難で、多くの市民が苦しんでいた期間にも、一部の富裕層の中の、その一部の趣味人、登山愛好家やクライマ−は福知山線・範囲で、兵庫の山々で裕福な遊びを楽しんでいたと言う。 元々、大正末期の海外移入と言う当時としても、別格・特殊な遊びとしてのクライミングを楽しめる層が存在 していた地域なのだから、不思議では無いが米10Kgの為に、悲惨な事件や餓死者・家族に捨てられる子供達が、大阪駅で悲惨な現実に直面していた、同じ時期に汽車に乗って丹波方面の、未開拓な岩場に遊びに行けたクライマ−達が、記録を残せるほどの時期ではなかったのだろう。その頃の山の話は、関西では文献情報として、残っている訳は無いと思う。その分、伝聞情報は私達の世代まで、かなり恥として、批判の意味合いを含んで、残っていたように思う。 同じ様なクライミング史の、負の部分として『野麦峠』の時代の、中央線の茅野か、どこかの駅で冬の最中に 学生山岳部の一行が、侮蔑の言葉に怒った多数の女工さん達の怒りをかって、車外に叩き出されたと言う 逸話を思い出す。 福知山線・範囲には車中から目に出来る岩場は、意外と多くて『武庫川・流域』は筆頭に上げられる。 豊岡までの車中にも、そういった岩場や山容から岩場の存在が幾つかあって、私達の世代にも残された岩場の開拓という機会は、数多く残されていたのだが、不思議な事に『フリ−クライミング』の意識面での変革が行動に表れるまで、それほど既存のクライミング・エリア以外の、そういった探査が楽しめる岩場を探してまで課題に挑戦しようとは、関西範囲の身近な範囲の『岩場』には向わなかった。 そういった意味では、30年代に六甲山の岩場や御在所・雪彦山とは別の、小さな隠れた岩場を探して開拓 に着手した、少数のクライマ−の足跡は貴重だろう。 意外に古くから、岩場でのクライミングを目的に、登山者が渓谷内で活動していたのかも知れない。 |
| 武庫川流域の岩場 |
| JR福知山線の電化に伴なって、クライマ−の視線から見え難くなってしまった『武庫川・渓谷』の幾つかの岩場の中でも、武田尾温泉・下流に存在している岩場は伝聞情報は多いのだが、正確なクライミング情報は少なかった。反面、電化に伴なうトンネルの増加により、旧・国鉄線路の開放?は多くのハイキング愛好家に面白い歩行コ−スを提供する形となり、周辺の岩場へのクライマ−のアプロ−チも容易となったので、50年代から70年代の後半まで、この周辺でのクライミングの可能性を探っていた、先輩たちに比べてクライミング環境としては格段に楽になった。『岳人45号』以前にも、幾つか短文ながら岩場に関しての記述を散見できる、文章は公開されていたが、『新岩』の記録や案内・以外は、新しい開拓エリアとしての意識を前面に押し出しての記録などは見なかったようだ。後の『岳人457号』や『岩と雪No126号』CHRONICLIに、公表された記録から、注目を集め出したようだ。 『武庫川流域の空白部を探る/開拓報告』は、当時の関西範囲のクライマ−の中でOCSと共に、広範囲な活動を精力的に『情報・発表』していた、フリ−・フライトの『三浦記章氏』オベリスクの岩場・名称を公的に紹介した事や、現在では人気上昇中の『武庫川・武田尾駅から近いル−フ・ボルダ−』ツタンカ−メンの発見・開拓者としても知っておくべき方だろう。 特徴的な岩場の外観により『オベリスク』と名づけられた岩塔状・岩場も、昭和中期に他の名称でクライマ−の、視線に挑戦対象として神戸のクライマ−には知られていた。 『オベリスク』の名称は、この特徴的な岩場に相応しく、最も初期に、この岩場で開拓に着手した方々が情報を公的に公表していなかったので『オベリスク』の、名称は現在・一般的だと考えられる。 廃線路から見上げる『正面壁』の、裏側は数度の崩壊で80年代とは様相が激変している。この周辺の岩場は意外と大きく剥離したり、自然崩壊する危険性を秘めていて、落石にも充分な注意が必要。 2008年・現在『ボルダ−』は別として、同一の下降地点から下流部の岩場に向うクライマ−は少ない。 武田尾からの廃線路『3箇所目のトンネル』を抜けた、最初の『鉄橋』左端から、河原に降りる箇所は以前は 残置ボルトにスリングを数本、垂らして短い垂壁を下降していたが『ボルダリング』愛好者の往来が急激に増えて、誰かが立派な『梯子』を設置してくれていて、安全・簡単に降りる事ができるようになっている。 一般の観光客やハイカ−が、間違って降りないように標識やテ−プ類は設置しないほうが良いだろう。 |
| 『情報・追加中』 |