1967年に『リト・テハダ・フロレス』が、アメリカのクライミング雑誌『アッセント』誌に書いた、これまでに無かったクライミングをゲ−ム理論で区分して、それぞれのジャンル別の位置と行為での、クライマ−自身が選択する『ル−ル』を定義した『論文』は『クライマ−が演じるゲ−ム(Games Climbing Play)』には、項目として『アイスクライミング』は加えられていなかった。そういった意味でも、未だにクライマ−のアイスクライミングでの、モラルとル−ル面での一定の確立した『基準』は曖昧だとも思われる。
『ミックス』と呼ばれる、岩場の通過をアイスクライミング・ギアを使用してのクライミングから、『ドライ』と呼ばれている、より積極的なアイスクライミングのフィ−ルドの拡大は、一度も氷に触れないクライミングをも、そのカテゴリ−のクライミングに認めている、部分も表面化した。『ル−ル』は日々・進化し前進し続ける活動と共に変化していて、新たな用具の登場から改良・進歩に即して変化が生まれている。
客観的な『ル−ル』が、存在する『コンペティション/競技』も、アイスクライミングの世界では普及し出したので、どこから、どこまでを『ル−ル』適用の範囲とするかの線引きは、これから益々・論議が、必要となるだろう。登攀(クライミング)論理とスタイルの、問題はクライマ−の数だけ、存在するとも言われるほどに、ヤヤコシイと、言われ続けていて明解な『答えや回答』を、明記していると実は、私も怪しいと思ってしまう、厄介な項目でもある。

個人的な見解や感覚的な理解では、見方を変えると大きく変化する『論理・ル−ル』が、本当に必要なのか
疑問を感じるので、基本となる『クライミング行為と危険』特に、クライマ−の生命と直接、関わる部分でのみ共通する認識や理解される『部分』だと、思われる範囲での私の考えは、どの時代・地域のクライマ−も、それぞれのクライミング行為で、自分自身の命を・かけているので、論理面での制約には関係なく、自分自身の判断で独自の、スタイルを選ぶ自由が存在していると思われる。

『スタイルの選択』は、各自の問題であり、他のクライマ−や社会常識・範囲での自然環境・状態へ無用の干渉や急激な『変化を及ぼす行為』は、全て批判される。批判される範囲の条件が、クライミングの成否を決定する場合にも、暗黙の了解範囲を大きく逸脱する行為は、やはり『記録的な価値』や、他のクライマ−からの評価は受けられず、批判と非難を受けるべきだとは思う。

氷結を促進さす為の『科学的・材料の散布使用』や、逆に『融雪剤』の様な物を、これから先のアイス・クライマ−が自然の『氷』で、使わないと誰も断言できないし、人工的・建造『氷の場』からモラル面やル−ルを無視したクライマ−が登場して来ないとも、言えない。ドライ・テクニックの進歩と普及は、チッピングを容認する風潮や意識を持った、行為を助長・加速させる危険が皆無とも言えない。

『モラル・ハザ−ド』は、今現在の社会的・風潮だが、山の世界やクライミングを行う者が、その影響を受けていない筈は無いのだから、火曜サスペンス並みの「事件」さえもが、起こり得そうで恐い。
雪山での命を繋ぐ『食料品のデポ盗難』『山道の方向や位置・指示の標識の破壊や悪戯』『クライミング・エリアでの盗難』『クライマ−同士の喧嘩騒ぎ』『山道・林道での不法・駐車』『山火事を引き起こした登山者』
携帯電話の普及で、街の救急車をタクシ−代わりに利用する税金泥棒と同程度の、登山者達。
幾らでも、列挙できるほどに『山の中』『クライミングの場』は、荒れて来ている。

『メディア関係者』から、直接に聞いた笑える、話題には残雪期の穂高での山行を終えて、下山後に日焼け
の痛さに、耐えられずに帰宅前に『救急車・要請』してしまった登山者が本当にいるという。
最初は、一つの比喩や冗談の一種、メディアの笑い話だと信じていなかったが、実際に本当にあった話だと判って、ある意味でシヨックを受けてしまった。緊急搬送で救える『命』と比べて・・・・遊びの『山』で・・・
あまりにも馬鹿げている。
『山の情報誌』関係では、知っているように思うし、情報範囲で把握している筈でもあるが、あまりに反社会的だし、山以外の世界から見たら・・
穂高岳『横尾・避難小屋・事件』を、御存知の方は殆ど、おられないと思う。
東京の『グル−プ・ド・ロック』のメンバ−達が、国内で最悪・最低の集団暴行・傷害・山小屋しかも避難小屋を荒らした上に、注意した登山者に対して行った『事件』だ。
2007年、年末に関東の古い友人達から悲しい訃報が届いた。この『横尾避難小屋・事件』の数少ない、生き証人でもあったプロガイド・中山君のクライミング講習中の事故の一報から・・・
これで、あの忌まわしい事件を、正しく知る者は本当に少なくなった。当時『山の雑誌』は、被害者に目を向けず、投稿記事を無視したと考えている。刑事事件の波紋は、公開されたら大きかった筈だ。
集団の『クライマ−』の、危険は今も同じだ。私の様に『正義感』を行動に移せば、危険過ぎる。
関西では岩場を使う為にホ−ルドに「ワイヤブラシ」を使おうが、ル−トを拓くのに、困難度を上げる為にチッピングしようが、ホ−ルドを乾かす為に「ガス・バ−ナ−/ト−チ」を使おうが、大勢のクライマ−の視線の中でも、平気なクライマ−が存在していて、誰かが行為を咎める場面を一度も、見た記憶がない。

クライマ−と呼ばれる人種?は、社会から見れば変人だし、命を粗末にする社会生活への適応に少し抵抗している部分を持った人間だと思われる場面も多いが、、本当の意味での『悪人』は少ないと言うのが、希望的な観測・望みだったらしいが本当の『悪人』は、クライマ−の中には存在している。
賠償請求を悪徳・弁護士と、金の力で逃げ切っても、悪事の『証拠・承認』は消えていない。
製作予定