高価な『ダウン・ジヤケット』が欲しかった頃。フリ−スや高機能アンダ−も5本指のオ−バ−・グロ−ブが無くても情熱と憧れが、壁への熱意を推し進めてくれた。高校生の頃の、お仕着せセ−タ−をフェルト状まで使い古してから、下着として着用。厚手のセ−タ−に当て生地を貼り付け、ツエルトが命を守る最後の用具
『レビュファ−』の羽毛服を持っていたのに、滝谷までは使わなかった。
国産『ザンタ−』だったか?1970年代には唯一、アンダ−として使えるコンパクトで、そして比較的、買いやすい価格帯の薄い『羽毛ジヤケット』ホックや襟にも、少し問題があったし本格的な『羽毛服』ほどには暖かくも無かったが、なにしろ価格で購入したクライマ−は多かったようだ。私も何年も使い続けた。
『ME』の、軽量な『羽毛服』を買えたのは帰国後の二十歳から、ビバ−クも随分と楽に感じた。
レビュファ−の『象足=半シュラフ』と、組み合わせて長く使い続けていた。『象足』を、羽毛ソックスと呼び出したのは何時頃なのだろうか?私達は『半シュラ』を、そう呼んでいた記憶があるのだが・・・
2007年3月 この数年、新しく軽量な最新のインシュレ−ション
ジヤケットを購入しようと、考えていて、数年前に購入したパタゴ
ニアが気に入っていたが、次は少し違うメ−カ−のモデルを選ぶ
つもりが、やはり今回も『パタゴニア』を購入してしまった。
マ−モットの同一タイプを、大阪店で探したが今期は入手できそう
に無いとの事で、久しぶりに神戸に出て、これを見つけて購入。

ファイントラックの『ブリ−ズ・ラップ/プルオ−バ−』の下に着用
できる薄さなのと、コンパクトで軽いのが良い。
M社の本店が、現在の様に立派な建物ではなかった頃に、関西・近辺のクライマ−ならば誰でも、狙っていた雑多だか楽しく、お買い得なアウトレット企画には、何が何でも皆が殺到していた。この機会を知らなかったのは、かなり惜しく、情報は専らクチコミだけの頃だから、狭い販売スペ−スでは殆ど顔見知り状態だった。
(下・写真)の、薄手の今風『インシュレ−ション・ジヤケット』は82年か83年に、この企画の時に大量に購入した装備の中でも、最も安価だった物で支払い金額は驚きの200円。
専用袋は付いていず、袖に小さな穴が空いていたプロト・タイプとして使用された商品外の製品で、当時としては羽毛下着・以外に、このタイプのジヤケット類は『パタゴニア』でしか見受けなかったタイプの物なので、ダンボ−ル箱の中から、掘り出した時には、すかさず抱え込んだ。購入後に襟・肩・背中に補強用の当て布を、縫い付けて自分なりに改造した。
流通している、市販品と比較すると封入されている
インシュレ−ション材の量が、かなり少ないが、その
分だけコンパクトで重量も軽くなっていた。
アウトレット企画での購入なので、多分プロト・タイプ
だと思われる。購入後から、酷使して消耗は激しい。
『羽毛服』神話が、そろそろ崩れ始める以前の物なの
で、仲間達からは評価されなかったが、私は予感的に
このタイプは将来、利用する機会が増えるだろうと感じ
ていた。
80年代のクライマ−に利用者が多かった『国産』
ザンタ−の各種・羽毛製品の中でも薄いタイプの
上下セットは、一般に『羽毛下着』と呼ばれて私も
愛用していた。
日本の登山史の中でも、凶悪事件として知られる
『横尾避難小屋・事件』の、被害者である私は、この下着を回収しに、屏風に戻れなかった記憶を持っていて、多分?中央壁・取り付き辺りのガレ場に今も私のサレワの綿布製ザックと共に、原形も留めず埋まっていると思う。
容疑者『グル−プド・ロック』に、賠償を求めたが、悪徳・弁護士、経由でしか連絡は取れず、何ら回答が無いままに月日は流れてしまった。

クライミング史が、あるとすれば国内のクライミングの歴史の中でも『グル−プド・ロック』は、最も醜悪なクライマ−集団と言える。