『堡塁岩・西稜』
80年代の初めに『X級プラス』の、スタンダ−ド。フリ−クライミングでの、基準的な困難度を身近な岩場で体験出来る、格好のショ−ト・ル−トとして、当時の関西「六甲山」でも評価が確定した『西稜ハング』が目立っていた『堡塁岩・西端』の岩場が、古くから『西稜』と呼ばれている。他の多くの岩場と異なるのは『堡塁岩』では、独立的に位置する各岩場を西から『西稜』真ん中を『中央稜』東に位置する、岩場を『東稜』と称していて、一般的に山で使用されている『稜線』という表現と、各岩場の形状は違うが『稜』と表現している事だ。『岳派』と私達が、使用している精神的な部分にも、こういった小さいと言われるが一つの『山の岩場・山を感じるクライミングの場』と言う、意味合いが岩場の呼称とも呼応している雰囲気が強いと思う。

『西稜』は南面に約25mの高距を持った岩場で、現代的なフリ−クライミングのル−トとして六甲山の岩場で、初期のフリ−を体験した多くのクライマ−は『西稜ハング・ル−ト』に想い出が多い。
60年代〜74年までは、傾斜のきつい小さなフェ−ス面から数箇所の残置支点をエイドで頭上の、これも前傾から小さなハング部を突破する、これといって特色も無い、どこにでも存在しているようなル−トだったが、フリ−化されてからは核心部の突破が強度的に考えても、かなり怪しい残置ピトン1本を頼りその下の残置も古い、リングボルト1本だったので、恐いX級+ル−トだった。

それでも『フリ−化・以前』の、既成ル−トだった、このハングを出口は登山靴・チョ−ク不使用で多くのクライマ−は突破していて、この当時のアブミから足を離してフリ−に移る箇所の難度は、高かったので今では記憶も薄れてしまい現代的な安全な『フリ−』しか、ほとんど経験していないクライマ−には理解し難いが、当時も一定の技術レベルを持って落ちずに登れる自信を持ったクライマ−しか取り付いていなかった。ハング出口のピトンの痕跡は、当時にフリ−で突破できなかった最後までアブミを手放せなかったクライマ−の、心理面・技術面の弱さの証拠だ。
そういった歴史的な経緯を考えると、現在のカム類での使用が、こと肉体的な部分ではピトンを片手で、ハンマ−を振って打ち込んでいたクライマ−の方が、少しは厳しいと言う事も出来る。

また、同じ『西稜』では南面・下部から取り付く『左(山本)カンテ・ル−ト』が、グレ−ド改訂を待つまでも無く、かなり古くから六甲山の岩場の中でもX級よりも困難と言う評価を得ていて、上限の開放に抵抗感が強く、自分達のグレ−ドの上限・範囲に、実は自信を持っていなかった、当時の神戸の多くのクライマ−には、このル−トと『西稜ハング・ル−ト』のグレ−ド評価の感覚的な、決定基準で悩む者も少なくは無かった筈だ。そういった意味で、71年〜74年、頃に安物の運動靴にチョ−ク不使用、Wロ−プに残置支点のみをプロテクションとして、フリ−で、この『山本カンテ・ル−ト』や、隣接した『南面のノ−マル(左)ル−ト』を、特別にフリ−クライミングと気負わず、自慢せずに登っていた数人のクライマ−の技術的な水準は、当時としては別格なレベルだったと評価して良い。
フリ−化・後は出だしの部分と小さなハング箇所の突破で
失敗して、古い残置支点に短い期間に続けて過度に衝撃が
加えられたので、さらに危ない状態だった。
古いリング・ボルトを当時のペッツル『ハンガ−・ボルト』に打ち変えたのは、私だったが「残置ピトン」を抜くのには抵抗感
が強くて、残しておいた。
前年だったか大阪のOCSの若い、仲間であった林君と開拓
に向った、小豆島・吉田の岩場で私達の開拓時に『ボルト』
使用を激しく、抗議?ル−トの開拓を止めさせた神戸のT君
は、この『西稜ハング』での、ボルト設置に関して抗議して来
て、中央稜・岩場上での果てしない論争(文句)?に、ほとほと閉口してしまった記憶が強く残っている。
T君の論拠はハング直下のヘアライン・クラック?に極少の
チヨックを使えるのだから『プロテクション』は、個々のクライマ−が、そういった極少サイズのチヨックを使うべきという点
を強調していて『吉田の岩場の大ハング』とは、少しボルトの使用に関する、論拠は違っていた。
その頃の『ハンガ−・ボルト』設置を、断固・拒否する意見は拝聴に値する意見ではあった。しかし『ボルト不使用・論者』の、クライマ−が新たなル−トの製造に関して『岩場の加工』を容認していた事は、論理的な矛盾を超えて、私達には理解不能。

その辺りの『異なる意識と意見』を、公けの『場』で
もっと真剣に、論議するべきだったと後で思った事だが、当時の雰囲気は険悪と言う表現で理解できると思われる。
そういった『ボルト論争』の、きっかけは『吉田の岩場の大ハングのフリ−・クライミング』からだろう。
このル−トでは、残置される『ピトン』は数年後とに替わる。『ハンガ−・ボルト』に、関しては数量は増加した。

20数年間で、数回『ハンガ−』が、回収されて誰かが再び新たに『ハンガ−』を設置するという場面に遭遇。

ホ−ルドへの確実な加工は確認されているだけで3回。

問題は、これは故意に誰かが『ハンガ−』を、用具を使用
して『緩めた』と、確認出来た事例があり、かなり危険な行為を行う者が、この岩場にも存在している事を知った。

同時期かは確認できていないが、全く『同様の事例』は比較的・新しい『岩場』でも実際に被害者が存在していて
情報としては、多くのクライマ−が知っている。
数日前には残置されていた『支点』が、急に消えるという
現場は、多くのクライマ−の常識をい逸脱していて困惑
を覚える。『烏帽子岩』での件は、数年後に再発
『堡塁岩』では、90年代・中頃から悪質な行為は減少し
目立った悪意の見える行為は見なくなったと思う。