『大津・大戸(木戸)川ボルダ−・エリア』
登攀禁止・地域として、地元で活動していた有志クライマ−の努力の甲斐も無く『最終的にクライミング』禁止となった『信楽エリア』に近い、川沿いを中心とした『ボルダ−・エリア』70年代の後半時期には、大岩が数多く、点在していて山の斜面にも『クライミング対象となる岩』が、存在しているという噂話は、大阪の若手クライマ−とは別の、山岳会・関係で京都、滋賀の倶楽部や少人数の、個人的な情報網から『山の店』や、大阪のクライマ−が集まる喫茶店などで、少しずつ情報として知られ出していたが『OCS』や
『神戸』範囲の、当時の仲間には84年まで、噂元の現地での実際のクライミングに、出る者はいなかった。クライミング・ジャ−ナル1986年23号の『記録・情報』を見た、大阪のメンバ−の数人から、翌日には誘いの電話が来て、OCSメンバ−の数人と『PCCメンバ−』3名を加えて、最初は京都の若い友人の車で現地へ向った。

関西の河原出、頻繁に目に出来るタイプの『花崗岩ボルダ−』だが、武庫川・流域のボルダ−と似通った自然環境の大岩の特徴と同じく、岩質は比較的・堅く安定しているが長年の水の浸食により磨かれたボルダ−は指に優しく、荒い花崗岩・特有の結晶で指先に血を滲ます事も少なくて、粘るボルダリングも可能だった。当時は、ボルダ−・エリアとしての開拓・初期で岩肌に苔や泥が付着している大岩も多く、川から離れた斜面の中の大岩は、まだ清掃が必要だった。

最も初期に、この周辺の岩場でクライミングを楽しみ出したのは『大津サンヨ-電気・山岳会』メンバ−で、『サイコロ岩』等のクラックに課題を設定していた。

86年に写していた写真類は私の手元には残っていない。林君の仲間達の当時、仏教大・所属だったメンバ−か東大阪から、後に奈良に住居を移したI君が所有しているかも知れない。
情報収集後に、現在の環境を調査して改めて編集予定