クライミング用ハ−ネス
14歳で最初に手に入れたクライミング・ロ−プを腰に結んだのが、ハ−ネスに近い感覚での使用体験だと思う。当時、国産の神戸製鋼製品や東京の繊維会社から発売されていた、ナイロン繊維製のロ−プを、六甲山の岩場で見た事は、数度あったが価格的に中学生の手に取れる用具ではなかったし、生活圏で登山用具を取りあっかっている店なども皆無の頃なので、憧れの視線で眺めていることしか出来なかった。ハ−ネスにしても、胸部のみの単純な形状のハ−ネスを使っているクライマ−も徐々に、増えていた頃だったが私には使う機会は得られなかったので、幸運にも親切?な大人から譲って貰った、この写真の麻ロ−プを泣く泣く、切って幾つかの胸部用のハ−ネスを自作した。

当時としても珍しい、本物の古典派しか知らないような英国ア−サ−・ルビ−社のクライミング・ロ−プ。
当時は『ザイル』としか呼ばなかった。最初は10mm程度の径だった筈が、長年の酷使で8mmほどの径に痩せ細ってしまった。この『ザイル』が、私の元に、やって来た経緯だけで数多くの話しが書けるのだが、本当に山での縁と言うのは不思議だとしか言えない。
『マニラア麻』のクライミング・ロ−プ等を今の、クライマ−は絶対に知らないだろう。手入れに、亜麻油を塗って丁重に、拭きながら末端処理に苦労した想い出を、実体験で持っているクライマ−だった事を今は、感謝している。本来ならば、年代的には、そういった経験を積む事が適わなかった筈なので、この種の骨董品的な装備や用具を実際に、使えていた事が、本当に良かったと思える。

現代的なシット・ハ−ネスを使用できるまでの、年数も意外と長い。実際、本当に泣く泣く、カットした、この古いロ−プで自作したハ−ネスもどき、の用具は今は残っていない。
1968年から1972年の春頃までの、古い写真を見ても『ハ−ネス/安全ベルト』らしき用具を岩場で実際に、使用しているものを見る事は殆ど無いようだ。確か、71年〜72年には国産の『ホ−プ社・製品』の、グリ−ンの胸部タイプの安全ベルトを手に入れていたと思うのに、クライミング時の写真に、そういった安全ベルトを使っているような写真が見つからない。数年後に、カシン社の全身用と呼ばれた、幾分かは腰部のベルトの幅が広くなり出した『安全ベルト』を使っていたが、その用具を使っている写真も僅かだ。

(上・写真)撮影年月日は1974年。場所は『百丈岩』で、ハ−ネスは使わずに腰にロ−プを「もやい結び」で結び付けているだけだが、この頃には、このタイプの方法が一般的だとは言えなくなっていた。大抵のクライマ−は国産の胸部タイプの単純な『安全ベルト』を使い始めていた。

(下・写真)は、1974年の最初の渡欧(英国)時に、前半の滞在期間には頻繁に通う機会に恵まれていた、英国・南部の本格的?古典派のロック・ゲレンデ『ハリソン・ロック』での、ル−ト・クライミングでのリ−ド時の写真。この写真でも、やはり『安全ベルト/ハ−ネス』は使用していない。
黒部の奥鐘・西壁や明星・南壁に頻繁に通っていた頃に、愛用していたのは国産の『エバ−ニュ−社・製』の、上下・セットのハ−ネスの上半身パ−ツを取り外し、シット・ハ−ネス様式にレッグ部を、カシンのウエス・ベルトと合体させた『シット・ハ−ネス』が、一番の、お気に入りで加重が加わると、締まってしまう『レッグ・ル−プ』部分を、臀部で細引きで結んで、固定して使っていたのがオリジナル・アィディア。随分と、長く愛用していた記憶があるのだが、大学の先輩に、ぜひにと頼まれて貸し出して、、結局は返却されずに悔しい思いを残した。多くのクライマ−が使い始めた『ウィランス・モデル』を使う前に、私は英国で購入した『ウィランス・モデル』の基本形とも見られる『ペック・モデルのオリジナル・シット・ハ−ネス』を帰国後も、使用していた期間があるが、初期の『ウィランス・モデル』を使い始めてから、この原形タイプを使う機会は無くなってしまった。『ウィランス・モデル』は、80年代の中頃までに、幾つかの改良版が発売されて、それらを何個が使っていたが、最初に使い始めた頃の製品は、やはり今は手元に残っていないようだ。
『奥鐘の清水RCCル−ト』でのクライミング時に、使用していたのが(下・エバニュ−・レッグ)+(カシンのウェスト・ベルト)合体型の『シット・ハ−ネス』当時は、同じタイプを使用しているクライマ−は皆無、岩場でも目立っていた。

製作途中