ツエルト/ビバ−ク・シェルタ−
『ツエルト』を、幾つ購入して来たのだろう。記憶の中で確実なのは最初にIBS石井スポ−ツ大阪店で雪山用として購入した、黄色い2人用だった。八ケ岳でのガイド山行中に、遭難者を安定した場所まで、搬送する為に『緊急処置・用具』の代用として、使用してポロボロに破けて下山後に、茅野駅のゴミ箱に捨てて帰って来たモンベルの薄い緑色のツエルトや、穂高で同じ様に遭難者の保護用に使用して、返却されずに無くなった外国製のツエルト・タイプのビビィ・ザックとかも、記憶を辿ると、つい想い出してしまう。

(下・写真は1981年、頃?の穂高岳・屏風岩での快適なビバ−ク)CJに記録が掲載された穂高での、遊びの一つ。涸沢・定着の、ある夏の日に若い仲間2人と共に、下部壁のアウトサイダ−・ル−トのフリ−化を初日の目標に、東壁ルンゼの下部に継続してから東壁・雲稜ル−トを攀って、ビバ−クに最適な、このポィントへ。前年に先輩ガイドの森老師(当時は老師なんて呼んではいなかったが)から、頂戴したDAX社・最新の銀面生地の新品ツエルトの使い始め。当時の、他の市販ツエルと比べると、生地が厚く丈夫な分だけ重量は重くて、やや嵩張ったが私には大切なクライミング用具の一つとなっていた。今も、大事に保管しています。
1978年 単独での穂高岳・屏風岩・東壁での『雪洞ビバ−ク』
予備日を含めて12日間ほどの日程で、燃料・食料にギア類も、徹底的に吟味して、幾つか破れがあった当時、使っていた最も軽い『ツエルト』を丁重に修理して、雪洞との組み合わせを前提に持参していた。掘れる箇所に制約の大きな、岩壁の真っ只中での『雪洞ビバ−ク』だったので、通常よりも出入口は変形タイプ。
ツエルトを二重に重ねて、垂直に下げて風雪を遮る。塵雪崩が岩壁を、落下する度に寒風が、吹き込んだ。

70年代の『冬季登攀』の各種・装備やクライミング・ギア(用具)は、50年代から60年代の先輩達に比べて、格段に進歩・改良された恵まれた時代になっていた。
何よりも『情報』に、関しては地方に住む貧乏な学生や、それほど組織に所属していなくとも、最低限・必要な資料や『夢』を、見るための情報を手に入れられる時代になっていた。インタ−・ネット等が、、利用できなかった、時代でも『現地』で直接に他のクライマ−と、会話を楽しむ環境に関しては、今よりも恵まれていた事は事実だ。
岩壁でのハンギング・ビバ−クだけで、40回・以上は使用したので岩肌と擦れるハンモックの腰辺りが、擦り切れて補修布を何度も張替えて使っていた。

最初に使い始めた『英国トロ−ル社・製のバット・ハンモック』ハンモック本体に入り込むのに毎回、苦労するのと、換気や外を見たい時に、いちいちキャノ−ピ−を、押し上げるのが面倒で、工夫して古くて使えなくなった『ツエルト』の開閉部のジッパ−を取り外して『キャノ−ピ−』に、取り付ける改造を施していた。

通常の2点・吊りのメッシュ・ハンモックにも『ツエルト』を、被せて使用していた頃なのだが、降雨で必ず左右からシュラフが濡れ出すので、決して快適なビバ−クは行えなかった。
70年代・80年代に『ツエルトとハンモック』を合体させたような、一種の岩壁でのビバ−ク・パラ−ツ(シェルタ−)を、考案して実際のクライミングで使い始めたクライマ−が、日本にも欧州にもいた。ア−ミ−・モデルのフォ−ルディング・コット(ベッド)や、安価なキャンプ用チェア−にチュ−ブ・テ−プや、細いロ−プを結んで、現代の『ビバ−ク用具』の、ほぼ原形に近い装備も、この頃から実際に使われ始めていたが、基本形の『ツエルト』は『ゴアテックス』が、生地に使われた程度で特筆すべき『進歩・改良』が、加えられた製品は登場していなかった。
夏も冬も、日本でも海外でも同じ青色の『ツエルト』を使い続けていた頃がある。テントと違って、季節に合わせたり、外見上の際立った特色や『ブランド』を誇示したい様な、一種の見栄も不要な『装備』なので、かなり生地に破れが出て来ても、ゆっくりと手縫いで修理して大事に使用し続けていた。岩に擦れ、鋭い金属類に引っ掛けたり、スト−ブから出た煤で汚れても、耐用ギリギリまで使っていた。

故・長谷川氏や森先生、そして岳兄の廣瀬氏からも、1個ずつ新品の『国産ツエルト』を頂戴した。
山行費用のみならず、日々の生活を保つ為に苦労していた時代に、御好意を受けた想い出は『用具』を利用した、それぞれの山や岩壁からの風景と共に、今も大切な記憶として残っている。

色柄を希望した少し、分厚いセ−タ−に着古して防水性は期待できなくなった「雨具」ガムテ−プで、簡易的に修理したサングラスに、ボロイ『ツエルト』超・軽量な特性シュラフ・カバ−に、ザックの背当て兼用の、ビバ−ク・マットにビニ−ル袋を、つないで自作した降雨用シ−ト。自慢は、当時は誰も同じ工夫で使っていなかったシグとキャンピング・ガス・コンロとの直結『ビバ−ク・クッカー』無雪期には、どれだけ岩場で使用したのか、忘れるほど使っていた。ミルク缶を改造した、手作り風防を後輩がT2から、誤って落としてしまった。
実際の現場で『救急措置』に使えた筈なのに、強風で使用できなかったという言い訳で、人の命を守れなかったと言う事例を私は、知っている。人の力では、どうしようもないほどの自然の猛威の前では、簡単に被ったり、固定して使えるだろうと誰もが考える『単純な装備や用具』も、その機能を使えない場面もあるのだが、その弁明を素直に聞く事は出来なかった。
『ベ−ス』として、荷物の殆どを置いて来た牧草地の中に設営していた『テント』に、戻るには目前の岩山を越えて海岸線の車道に出る必要があった。1日でリッジから山頂の目標ル−トを突破して、下山に適したコ−スを探して、草地に戻れる予定が、この地方では何時もの事の深い霧に、完全に展望も遮られ、岩場の途中からは数メ−トル先の岩場の状態さえ確認できなくなって、予定は変更。ゆっくりと眠る為の、唯一の暖かい『シュラフ』代りに用意して来た『ハロ−ズで購入したダッフル・コ−ト』は、ベ−ス地のテントの中なので、高校生の頃から来ている『セ−タ−』1枚と、当時は選択できる唯一の『ツエルト』と、同じ様に見えたので、ぐっと我慢して財布を開いて、毎日曜日に開かれる露天の『古物市』で、多分?英国軍・放出品と思う、???入手した『一種のシェルタ−・テント』片側が下がった、変形・三角テントなのだが、生地は見るからに丈夫で底布も付属。テント・ポ−ルも買いたかったのだが、結局は悩んだ末に節約を優先させて買えなかった。

山頂を越えた、比較的・傾斜が緩やかな尾根に下って、羊達の休憩場所かもしれない、小さな窪地でビバ−ク。雨は夜半から強まって、YHの朝食で紙ナプキンに包んで、3日前に持ち帰って来た硬いクラッカ−を数枚と小さなジャムを舐めて、雨水で喉を潤して朝を待った。日本で、使い慣れていた天井高が前後・同じ内部空間と違って、片側は急に低くて、座っていても狭い空間は、あまり快適ではなかった。それでも、横になって、眠り休めるのは体温が残っている間は少しばかり幸せ。すぐに寒くなって来たが・・・・

無事に午後も早く、テントに帰着。小さな綿布ザック、一つ、薄くて、使い易い日本の『ツエルト』は本当に、よく出来た『シェルタ−』だと思う。
厳冬期、この南アルプスの氷雪の世界で『ビバ−ク地』として、この場所を使ったクライマ−は多い。今でも、この場所はクライマ−専用の空間だ。横一列に狭い、バンド状の岩棚に座って、切れ落ちた岩場に両足を、ぶら下げてズレ落ちない様に、少しでもツエルトの空間から、はみ出さない為に苦労して、苦しい態勢を確保していた前日から比べれば、足を延ばせて、ゆっくりと休める、この場所でのビバ−クは天国だった。

『レスキュ−・シ−ト』と、呼ばれる緊急用の本当に小さく畳んだ薄い『シ−ト』は、この頃から個人装備の一つとしてクライマ−はザックの中に、各自が入れていた。保温性に関しては、気休め程度だし、再使用するには面倒すぎるし、使い勝手が『スポ−ツマン・ブランケット』と比較して、決して良くも無く、耐久性は期待出来ない用具なのだが、防水性は完璧、粉雪が乗っても、すぐに払いのけられて、カバ−代わりに使うのには、凍結もせず便利だったので、冬季のクライミングで、ビバ−クする場面では、頻繁に登場していた。
長期・定着中に珍しく、神戸から仲間が集って来て『継続プラン』で、数日間この山でクライミングを楽しんだ。いつも一人だったので、六甲山や冬季に通っていた、仲間達との開拓クライミングやアイス・クライミングの場であった『南アルプス』以外で、賑やかにクライミングやビバ−クの夜を過ごした、記憶は懐かしく楽しい。ツエルトは穂高の初期・期間と同じく、かなりクタビレ・痛みも目立ち出した『薄い、青色のツエルト』3人で、使うのには窮屈だった。

クライミングでの履物は、軽いクライミング・シュ−ズではなくて、古典的な皮製登山靴が一般的な時代。
私は、当時としては足首に柔軟な皮製の砂利や雪が、入り込まない工夫が施されていた『ガリビェ−ル・ウォ−カ−』の、2足目を使用中で、他の仲間の一人は、関西らしく『ハンワグ』を履いていた。
夏でも豊富な残雪が、フラットな台地に張った『ツエルト』の横に残っていて、御利用された経験のある方なら、当然・御存知でしょうが景観・雰囲気は最高部類。クライマ−しか、立寄らない隔離されたようなビバ−ク地は、快適。ここを中継地点に利用すると、無理の無い継続でのクライミングを山頂と共に楽しめた。
1点・吊り下げ方式の『バット・ハンモック』使用以前は壁中でのハンギング・ビバ−クで唯一、使えたのは古典的な2点・固定の『通常タイプのハンモック』私が、使い始めた頃にはカシン社・製品しか選択・使用できなかった。数年後に国産のコピ−商品や、他の製品が入手出来る様には、なったが基本的にはネット・タイプの物しか選べず、布タイプを使えたのは80年代の後半時期に、渡欧して入手した米国製品だった。
『ネット・タイプ』の、ハンモックは伸縮性があるので、ある程度のサイズ範囲の許容量をカバ−でき、比較的・軽量だというだけで防風性・防水性は全く期待できず、小さなボタン程度の突起でも、引っ掛かり、快適とは言い難い。ツエルト類をハンモックの上から被っての使用も、降雨・降雪に対応出来る代物では無かったが、当時は、こういった用具でも利用出来るだけ、ましと言う考えで意外と快適な壁中でのビバ−クを楽しんでいた。
市販品の『ツエルト』に、壁中での使用を考えて、ル−プを付け加えて貰ったり、後に完全・改造したウォ−ル・ビバ−ク対応タイプを特注で造って貰ったりした。冬季の強風や塵雪崩で、痛められて当時の一般的に市販されていた緊急用の『ツエルト』で、満足いく製品と言うのは少ない頃だ。