濡れる事を嫌がっていたり・最初から滝の流水をクライミングで突破する意欲を持たないで渓流・沢を見ている人達には、過激に「見える」  これまでの「沢登り」の行動では「登山」山頂へ至る方法の中に「沢」を選び、自然を楽しむ。そこにはクライミングの様に、対象のスケ−ルではなく「課題」の困難を求めて、自己の技術や努力を真摯に要求しなくとも「沢」を楽しめる・そういった遊ぶ側の選択に大きな自由が、ある反面・楽しさを求める「チョイス」に大きな限界・限定を設けていた。

山は、もっと自由に広がる楽しさを本来・その中に無限に秘めていて。「沢」とも「渓流」とも呼ばれる環境には、遊ぶ側の発想の拡大や、課題に向かう「冒険心」や「好奇心」により、幾つもの・「選択」出来る遊び方が広がっている。

『渓流で遊ぶ・世界』沢登り・実は多様化して・様々なジャンルが増えている
山の世界の中でも、この『沢登り』は、世界的に見ても・日本独自の野外遊び
シャワ−・クライミング

『兵庫県・新しく開拓した、講習・適地(シャワ−・クライミング・ル−トの開拓・整備)オリジナル』

テクニックを磨き。抵抗力を強めて、低い水温にも耐えれる、装備
を厳選・選択して使用して挑めば、不可能の領域は拡大する。

年。(?)本。残された【課題・夢】は克服されている。
自宅から、1時間・圏内の身近な山や・渓に残った挑戦対象から遠く、海外まで。要は、意識と情熱。

『想像性と創造性』を、最も手軽に「山」で、残された「環境」を自分の力で、開発・開拓して行ける・可能性を秘めたジャンルとして。「キャニオニング」と、共に「リアル・シャワ−クライミング」の世界は、広がっている様に思える。

『音』で、滝の高さを感じる。彼らの感性や能力は目で
見・情報の殆どを視覚に頼って、生きている私達と少し
違う。激流での遊びを、終えて私・自慢のスク−ル・ベ−ス
にて、焚き火を囲んで『渓』の、世界を語り合う。

見上げているだけでは『課題の可能性』は、見えて来ないまずは、挑戦する事。出来る限り・水量の多い時を選ぶ。渇水の「滝」を、本当の「滝」とは、思わない。

関西に住んでいるならば「環境」は、最高。
意外と。身近な所で、この遊び゜が気楽に体験できます。
水質の悪さは、人の生活や行いから生じているので、山には責任は無い。かって下水と化して・とまで言われた表・六甲山の幾つかの沢(渓流)は、通常の状態では沢を楽しむのに適した「水質」とは言い難い。
そういった、水質の中で、無理に「沢」を楽しむ必要を感じなければ、他の山域に場を求めるしか方法は得られないと一般的には考えられているが、季節の中で移り変わる「自然」は、意外な一面を見せてくれる事もある。そういった例は、この「六甲山」にもあって。豪雨後に川底のヘドロも流され、大型ゴミさえも一気に海へ押し流された後の「元の姿に、戻ったか」と錯覚させてくれるような「環境」で、沢を楽しめる機会も、時々ある。
キャニオニング・スタイルでの『完全装備』も現在
の短い時間での『シャワ−クライミング』や、絶対に身体の保温が必要な『課題に向う』本格的な大滝でのクライミングには大きな力を与えてくれる。
『滝』を突破しなくても、自分の価値基準やプライドが保てるならば『沢登り』には、進歩は少ない

2006/04/05 (水) 6:18:57

『古典的』と思われているショルダ−・テクニックも有効に使える。経験と技術は両輪の輪。
見よう見まね、で水流抵抗の強い場所で気楽に
使う方法ではないが、使える技術として習得して
備えておくのは無駄ではない。
六甲山
六甲山
六甲山『芦屋川・大滝』
七種滝
六甲山『浮華滝』
比良山『白滝』
ソウレ谷
南紀『立間戸谷』