『兵庫県』は、沢に関しては不遇な「県」だな。そんな風に言われた覚えが・ある。はたして、そうだろうか?

沢・渓流、関係に関しては・以前から「先輩・方」の書き記した、膨大な資料が出ていて。地域・研究に関しても「大峰」や「大台」方面の山域には、同時期の他のエリアと比べても、格別・集中的でありかつ、情熱を感じる、良い「資料」が、豊富に出回っている。

同じ地域内に住み、恩恵を受けている『後輩』としては、感謝。反面、一つの組織が・長期に亘って、主導的に「情報」を生産・記録を報告して来た雰囲気が、残っていて・新参者が古参・ベテランの書いた・情報・記録に何かを、付け足したり反論する、気配は、少しばかり恐れ多い。そういった、風潮は時代と共に、風化して失われて来るが、古典的な「情報」は、中々・新しく書き換えられないし・一端・思い込まれた「情報」はイメ−ジとして残りやすく。次ぎのステップに移行、し難いのも確かだ。そういった例は、数多くて。「六甲の沢は、下水と化して・・・」

本格的な本流・遡行の醍醐味は・・・、その他・枚挙に暇が無い。それらは、探査・開拓、時期に幸運な事に・出合えていた「世代」が、本物・本格的な「沢」で、楽しみ。・その後に・その他の、劣る『沢』と、比較しての記述で・思い入れが強い。「量と質」の単純な・比較論では「沢の魅力」は、図れないが、身近な山域にも見直されるべき「場」は、あると私は考えているし。再発見・そして・新しい発見だって可能だ。『兵庫県・山域』や、鳥取・岡山県との、県境(山域)には、そういった・まだ残された
「課題」は、ありそうだと思う。

『三谷渓谷・関連情報』

『社町』の、国際交流・協会の仲間から、教えて貰って・1986年に「冬季・積雪、状態」を確認したくて、年末・年始の「八ケ岳」での、ガイド・スク−ルを終えて、帰宅後に山頂への、一般道を山頂・往復で歩いてみた。その時は、生憎の天候・状態で「山頂」からの、展望も得られなかった。

積雪量に関しても、予想していたが、わざわざ神戸・大阪、方面から参加者を、連れて来てまで、満足して頂けるか、疑問は大きいと感じたが、入山口から、ほど近い・渓流を・渡る「橋」から、見上げた上流の「雄滝」は、天気が悪かったにも関わらず、コントラストの、はっきりとした水量・落下の雰囲気も立派な、堂々とした「滝」に、見えたので、全体の「沢」としての、価値も雰囲気的に・良さそうだとの「ヤマカン・雰囲気」を、感じた。その、自分の『感覚』が、確かである事を、確かめたいという気持ちも、手伝って。翌年・、シ−ズン初期にしては、降雨に恵まれた時期に・入渓できたので、ほぼ・全行程を「探査・終了」自分の「感」の、正しさは・証明できた。

沢登りコ−スとしての、内容は、予想以上。中々に「優れもの」=沢を何年も、続けていると、こういった思わぬ「恵まれた出合」体験を味わえる。

『記録的な価値』としては、「雄滝」に古く錆びては、いるが年代形式や・腐食・具合を観察・判断すると1960年代から、80年代の期間に市販されていた国産・軟鋼ピトンの使用者で、だいたい、その年代・期間、辺りに最初の「滝の挑戦者」が、現れたのだと推測できた。ただ「雌滝」「雄滝」の、両方の滝共に徹底して困難な箇所と水流から、逃げての草付部分との容易に、登れるラインを、抜け出たタイプの、どこの山域でも同じ様な個性・オリジナリティを先行者への、敬意として感じられる「ライン」では、無くて残念。
その他の、コ−ス内の小滝・段差(岩場・部分)等も、それ程・困難な箇所を突破して登られた
「ル−ト」とは思えなかった。惜しむらくは「雄滝」ならば、30数年前の「先輩達」でも、レベルが高い人達ならば、私が拓いた「ライン取り」で・滝・中央をフリ−で完登できた筈。当時の・装備・用具でも充分に可能だったろうに、やはり「山頂」が、目的。シャワ−・クライミングの楽しみと・登山の・楽しみの『秤りに、かけた選択』が、山頂が重かった。
それにしても、「滝」部分の、逃げル−トに残置されたピトンの数は多かった。草付・斜面にバケツ状の「穴」が、残っていた事から見ても、それ程に古い時代では・無さそうだ。

『探査・目的』で、入渓してから、しばらくは「巻きライン」も利用しての。再訪・沢登り・だったが・93年からは「バリアフリ−プログラム」での、障害者・参加に適した、快適・安全な「場」を考え。探し出していた頃なので、すぐさま・この「渓」を積極的に使い始めた。

『視覚障害者のハイキング・クラブかざぐるま』と、まだ出会う・以前だったが。当時は「聾唖・青年部や地域・枠から活動していた、幾つかのグル−プ等と。初め、表・六甲山の「仁川渓谷」」ここを、最初のステップに裏・六甲山の「山田川・地獄谷」次に・スタッフを必死で・集めての「比良山・白滝谷」等に・プログラムの範囲を広げていた・時期だったので。この「千ケ峰・三谷渓谷」は、ぜひともコ−ス利用を可能としたい山域・エリアとして、仲間達にも声を、かけておいた。当時は、「播但・播州」に、沢に行くというと。大抵の山仲間は否定的だったし、実際に・このエリア範囲で「雪彦山」以外を、知る仲間も存在していなかった。沢なんて・なさそうとの「噂」だけが・浸透していて。関西系は本当に「過去形イメ−ジ」に弱いと感じた。そういった『先入観』に、毒されていない「活動」で、手伝いに集まっていた若手や、マスコミ取材時に個人的に親交が・深まり。「バリアフリ−活動」に・実際に活動・協力してくれていた(某・局)カメラマン君と彼女・なんぞも助っ人に加えて。開拓・進行

本気で「開拓」に、入ったので。今回は『雌滝』『雄滝』共に・満足行く内容の「ル−ト」を設定・開拓すべく、各種、装備を大量に持参しての「完全・遡行、滝の完登」を、フリ−・クライミングのスタイルでトの・目標で・気合を入れての入渓。

(MBSナウ・バリアフリ−講習・取材)

チャレンジド(障害者)参加の、プラン利用コ−ス&エリアとしての、整備・開拓と共に、「親子・参加に対応」の・プランニングでのTV取材も、その頃から、増え出していたので「コ−ス内容」に、関する個人的な「希望と夢」も、かなり強く・懐いて、用具類=残置支点も吟味した。TV局からの撮影が決定していたので、撮影・下見も兼ねて一度・その局の懇意にしていたカメラマン達とも、支点・設置も含めて遡行・登攀したが、その時にも・運良く、情報は「山関係」には流れていなかった様で、「登られた」痕跡は見受けられなかった。

1996年から、ほぼ『毎年』この、自分で整備・開拓した「渓流コ−ス」利用で、各種プランを実施しているが(01年からは・少しばかりキャニオニングが・忙しくて利用回数が激減した)99年〜2001年に、かけて「雄滝」「雌滝」そして、下流部の「小滝」で、確保支点として、設置しておいた『残置ボルト』が、意図的に破壊・叩き折られる様に、なって来た。基本的に「ロック・ピトン」は、「雄滝・出口」に1本。終了点に1本のみを残置していたのが、「ナイフ・ブレ−ド」だったのが、災いしたのか?ちゃっかり・引き抜かれている。

他の「ハンガ−・ボルト」類も、回収を目的とは考え難い方法で「破壊」している物が多い事から、何らかの「意図」が、考えられる。フリ−の核心部を、集中して手を出し難い箇所でも「ハンマ−」を振るって、いる痕跡が馬鹿らしい。レンチで簡単に回収できるのだから。

96年・97年から。関西局5社「ニュ−ス枠内での・紹介映像」を、含めて「視覚障害者」との、
「三谷渓谷」使用での、私が企画・主催、ガイドした「沢登=シャワ−・クライミング講習会」が、テレビ番組・映像で紹介される事は多かった。この・時期を私的には「震災後の、活動への・追い風・状態」と呼んで・歓迎はしていたが。所詮はTVなので・長続きは・しないと予感していた。(予想よりは・長かったが・・・)
MBS関係だけでも、2年・続けて同じ「沢」と、別の「沢」が、重複箇所なのに紹介された程だから。「沢・関係者」の、情報にも確実にキヤッチされても、当然と考えられる。

(2004年・ニュ−ス・枠での「親子参加・講習」取材・企画』

【一言】
目が見え・過去からも「山と渓」自然の恵みを・五体満足な身で堪能されて来た、貴方には・少しぐらい「理解・判別・想像」出来ないのでしょうか?

多分・上級者の、貴方には「不要・無用」な、目障りな「残置ボルト類」だったのでしょうが、・・・・・
これを・必要と、される方達も、この「山の世界」には、存在します。貴方の常識では・理解出来ないかも知れませんが・目が見えなくとも・少しばかり身体の自由に・不自由さや・不便が・ある方達も・同じ「場」で、同じ様に「渓の世界」を楽しみます。その為に・だけでは、ありませんが・可能ならば・の『夢』を、込めて・記録が公表されていなくて・他の「沢」関係・者が来ない「場」を、敢えて選び。『希望を託して』整備・開拓した渓です。

94年・以降。2008年まで、毎シ−ズン「マスコミ」を、通して「三谷渓谷」での、コ−ス紹介と受け取られる「映像」や「写真」が・出ているので・、現在では、かなり名の知られた「沢」に、なってしまった。

映像の中には『TV大阪・局のアウトドア系・番組・遊び100%』の様な、いかにも「関西風・お笑い」番組・内での時間的にも余裕の『沢登り・紹介』や。お笑い系とは全く・取材・方向の違った、特集としての『障害者・参加』を・真摯に見据えて・活動を好意的に紹介してくれる。いたって・真面目な放送・内容まで、多種に富む。「マスコミ情報」での「遊び場」公開・公表が続いたので、最近では「山岳会」「沢愛好家」の、情報の中でも頻繁に「記録」を見る・機会が多くなって来たが、『残置支点』の問題も含めて、幾つか・深刻な問題も表面化して来ました。所詮は・山の世界の「人間」にも・善人ばかりでは無くて・不公平が当然と考える・人種も意外と・沢では多いと言う現実でしょう。最近は・そういった「山」での・現実をメディア情報でも・隠すのは止めにしました。後・20年も過ぎれば・証拠・提示で、本格的にアピ−ルする事も可能になるでしょう。

記録に関しても、別に『初登』と・いった「記録的」な、情報を公表する気は、最初から私には、ありませんでした。特に「山の世界」に関わりたいとも思っていないので。敢えて「公表」するとすれば、『開拓・整備』と、言った表現を使っています。

『雌滝・雄滝』を、含めて、コ−ス中に、初心者レベルの人では・対応できない「技術的に困難」な、ラインを設定してあります。。自身の「能力・経験・装備にヤル気」に、不足や不安を感じる方は、絶対・信用できる良いリ−ダ−に指導され。ロ−プによる確実な、確保を受けて、お楽しみ下さい。山域・特有の『注意』としては、近年・播但・播磨、山域で急速・繁殖中の『山蛭=ヤマヒル』が・広範囲に、生息。特に、渓流・付近での被害は多いので、肌の露出・部分。足首・手首や首筋などには、特に注意が必要ですから、充分に御注意・ください。

山なんか、関係の無い人も含めて
この沢で楽ししく、遊べた参加者も
2004年で軽く200人を越えた。

2009年6月、時点で更に80人

ほどの人が企画に参加。
国内で最も障害者が『沢を楽しんだ』場所だと思います。
次ぎの『講習・適地』は公開・公表しません

2006/04/02 (日) 23:09:13

【兵庫県・播但・播州エリアでの講習適地の発見と整備・開拓】
『千ケ峰』 三谷渓谷・整備開拓コ−ス案内
バリアフリ−・プランニング適地の『整備・開拓・渓流コ−ス』
毎日放送局「坪井カメラマン撮影担当」
テレビ大阪「遊び100%」
『震災体験後から、この『三谷渓谷』を使用した『講習会やバリアフリ−企画』は、毎年の恒例実施・企画となった。ここで紹介している、この『三谷渓谷の完全遡行/滝ル−ト完登プラン』と、周辺山域で更に開拓・整備した講習適地は『山崎・北部』での、情報を一切・公開、公表していない『穴場コ−ス』と共に、これからも多くの参加者を楽しませてくれるでしょう。??

02年、以降から場が荒れる恐れや、無理解な沢愛好家、環境の保全に逆行するような登山者の問題を含めて、特に『バリアフリ-企画』利用の『最適環境』を守りたいと言う思いから、特に専用コ−スは基本的に『情報』を公開・公表していません。そして、この『三谷渓谷コ−ス』も、残置支点の安全性が確実ではなくなった、その理由も少し悲しいが、以前の様には安心して『バリアフリ−・プログラム』を実施出来なくなってしまい、年々と使う機会は減ってしまいました。
2001年から『キャニオニング・スク−ル』の方で、8月・9月、期間は超多忙な期間となり、整備した『三谷渓谷』での沢講習会を以前の様に頻繁に実施していませんが、最近は、降雨後の最大・水量時には個別のガイド依頼や『期間中のツア−・プログラム』として、沢登りと『キャニオニング』双方の遊び方を、夏期間の私の常駐地・キャンプベ−スを起点として、この周辺の沢・渓谷で定期的に実施しています。『千ケ峰・三谷渓谷』での講習会は、レベル別に難易度を分けて企画を実施でき、アプロ−チと沢の終了後の下山の容易さ、緊急時・対応に適した環境を含めて、近年ではテレビ番組などで、私の企画が多く、紹介された影響からも人に知られて人気が出てしまった沢の一つとなりました。

テレビでの取材・報道で『親子参加の沢登りコ−ス』としても
関西範囲では、大きな反響を呼びコ−スの評価が高まった。
吉本系のTV番組での利用も加えると、、かなり多くの映像紹介
により、沢の愛好家に広く知られた渓となった。
少し、メディアで紹介し過ぎたと反省しています。
ただ、これらの、私の報道の中での紹介・活動が参加に躊躇
しているチャレンジドや御家族に、沢は楽しい、安全に楽しめる
そういったイメ−ジや情報の一つとして利用されたのは事実。
『山蛭/ヤマヒル』被害と対策
この周辺での『山蛭・被害』の増加は、他の山域・特に兵庫県下の多発傾向が知られる山域と同じく、それほど古い話題ではなくて、山里・山の麓の山地と隣接する生活圏まで広がり出した『鹿』達の、生活・行動圏の拡大と比例している話題で、私が最初に沢登りコ−スとして、この『三谷渓谷』に入渓した1983年、頃に現在の様に毎回、山蛭を見たり被害者が出るという記憶は薄い。多発し出したのは、90年代に入ってからの様な気がしています。現在、宍粟郡(05年から市町村・合併で宍粟市)範囲では、様々な蛭対策に関係する薬品や山仕事・営林署・関係の人達の知恵が、一般の人達にも知られ出していて、専用の『山蛭防除・防御薬剤/ヒルノック』等も、広く一般の登山者にも使用され出したが、基本的には散布薬剤系の防護用品は、絶えず水流を浴び、全身が濡れる『沢登り活動』を楽しむ、私達には効果は薄い。『山蛭』の発生・被害個所は、繁殖地と共に近年、広がり始めていて、特に『三谷渓谷や千ケ峰』範囲に、異常発生している訳ではなく、沢に遊びに来ているから、被害に合うと言う無理な説明は意味を成さない。現在では、最近の『山蛭の発生理由』として、科学的・通説は鹿の個体数の増加と、鹿達の生活圏の拡大と、移動範囲の広がりに合わせて『山蛭』の被害地も広がっていてる。少なくとも、登山者や沢愛好家が、人の身体に付着させて、他地域に拡散させない事は重要。
最新の『沢・渓流遊びのスタイル』を毎回、私が実施する講習会や企画では参加者の希望や、私の判断で『スク−ル・レンタル』で使用している。完全装備ならば、それほど『山蛭』からの被害は受けないものです。
『関西山域/渓流』に一つ、一箇所ぐらい『バリアフリ−意識を山で、具現化』できる、できそうな希望が持てる『フィ−ルドやエリア』が、あっても構わないと考えたり、理解出来る『心の余裕』を持った『登山者』そして、特に『沢登り愛好家』が増えて欲しい。

社会環境や教育『現場』での、あからさまな『差別的な言動』や、否定的な視線や妨害を直接的に受ける現実と言う場面は、さすがに少なくなったが、山の中での『一種ポランティア的な活動』や、個人の趣味・道楽での他者への支援や応援に関しては、登山関係者には今現在でも嘲笑的な視線や、自分の世界の基準でしか、山の楽しみ方や、常識を判断できずに文句を平然として発する人達が残っている。
『沢の世界』の活動、愛好家と称される、既成のコ−スや他者の記録を元に楽しむ層の人達には、一般の山歩き・ハイキング・レベルの山好き、それらの人達と自分達の差異を感じたいと思っている人達が意外と多い。そういったレベルの人達には、沢を楽しむチャレンジドに批判的な意見や、無言の圧力『否定したい意識・強要の無さを露呈しているだけの無理解』を、隠しても表現している人が多い。
その種類の人達は『自分が達成できない』挑戦対象を『チャレンジド/障害を持った人』が、記録的にも山の世界では評価を受けるような挑戦で、達成・実現する現実を目の前にすると、反発したり、否定的な意見や言動で批判する者が無多い。そういった例を、過去30数年間で何度も、実際の現場で目撃して来た。
メディア・報道での『問題』が、面倒なので実は、同時期に周辺・山域で発見、整備開拓した、他の『沢登りコ−ス』や『滝ル−ト』の記録は実際に『講習企画に参加』する、メンバ−や同じ意識を持った他の活動者にしか、詳細な情報や有益なアドバイス等は教えなくなった。特に、拡散系で意図や趣旨が正確には表現できないと感じる、一部の専門誌には公表しない。せっかく長年の活動で築いて来た、地元の理解者や宿泊や楽しい記憶が増やせる機会を無駄にするような人達にも『情報は提供』しない。ガラの悪い、沢屋や環境保全に無理解、無頓着なクライマ−の増加にも手を貸したくも無いので、記録文書の公開も少なくなり出した。
裏六甲の沢講習・適地を除けば『国内・最多のチャレンジド参加型の沢登り講習会』実施の渓でしょう。
『雌滝』には、一般参加者に向いた比較的、容易なラインを左側に設定。以前にもトレ−スされていたと思われるラインだ。次に開拓したのが、下段の緩いスラブから右上した、中間レッジから、一端傾斜を増したスラブ状壁に左上して、沢の滝ル−トとしては、珍しいフリ−クライミングのスラブのテクニックを駆使して、上部の頭を押さえられたハング帯下から、右へトラバ−ス気味に、今度は右上して段差を越えて、終了点に抜け出る、意外と見かけよりもテクニカルなライン。核心部にハンガ−ボルトを設置したが、下流部のビレ−ポィントのボルトと同じく、ハンガ−が故意に破壊されて、今は使えない。
2002年、2003年までは、メディアからの依頼でガイド業務としても、この『三谷渓谷』と、同じ山域、そして隣接するエリアに開拓した2本の開拓コ−スも、シ−ズン中は頻繁に利用していたが、2003年・以降は『毎夏定着のキャニオニング・スク−ル』現地から、より近い範囲のエリアでの新しい『講習適地の発見と開拓』が、順調に進んだので、この千ケ峰のコ−スを『バリアフリ−・プログラム』や『親子企画』で、使用する機会は減った新しい『講習適地・プログラムが行い易いコ−ス』が、年々と播磨・播但、山域で増加できた事は幸いだが、意味の無い支点撤去・ハンガ−類への、破壊行為が無ければ、この沢は今現在も、素晴らしかったと思う。